長らくのマインド的不調を抱えていた訳ですが(え、そうなの?)

好きなことだけ(表面上)してるのに飽きたのか?と思いつつ

 

最近、自分なりに納得した感覚がありましたのでブログに起こしてみようかと。

2012年からずっと仲良くしている、キッカケは宇宙友達の片岡ひろ子さんの記事からシェアだったと思います。ちなみに、片岡ひろ子さん(ぴーちゃん)は、波動調整という量子レベルから物理次元を自己探求するメソッドの創始者です。

 

http://trueseeds.jp/blog/

んで、そのぴーちゃんから派遣された、こちらの記事から、ようやくシャッキリ目が覚めた訳です。その記事はこちら。

 


 

この記事で、ほんとーに詳しく解説されてる、虚無ってやつ。

噂のあれです。よく医学書で症状を見て、あ!わたしこの病気かも、って気づくやつ。

 

 

 

 

 

ああ、これが虚無だわ。

 

 

 

 

 

でね、秀逸なのが、このイラストです!
ほんっとに分かりやすい♡

 

 

 

 

 

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下記ブログより抜粋、引用です。

 

 

「表裏一体」は2サイクルエンジンでも可能だ。それに対して「表裏消失」は2サイクルエンジンでは不可能。それは4サイクルエンジンで始めて可能となる。 メビウス自体が4サイクルエンジンなのである。表-裏、裏-表。このねじれの関係がたすき掛けのような構造を造る。キアスム(交差配列)とも言う。4つで 1つの仕組み、これを「四値論理」と言う。「四値論理」は4サイクルエンジンの別名と言ってよい。

「四値論理」の一番分かりやすい例が 「向かい合う自己と他者」である。私とあなたが向かい合うとき、「私と私から見たあなた」という2者の関係がある。だがそれだけではない。その裏側にもう 一つの関係性がある。それが「あなたとあなたから見た私」である。この4つのポジション、「四値論理」の関係性は普段は見過ごしがちである。というか、こ れが見えないのが人間の性(人間型ゲシュタルト・2サイクルエンジン)だからだ。変換人型ゲシュタルトは4サイクルエンジン、この四値論理がデフォルトで 実装されている。

そしてこの「四値論理」がまさしく「メビウスの帯」に他ならないということはご理解頂けるであろうか。メビウスの帯においては「表=裏、裏=表」という四値論理の関係、つまり「ねじれ」が見えた時に「表裏消失」となる。

まとめると、

○「等化」は「表裏消失」、ねじれが見えている、つまり一つ上次元からの視点であり。ねじれとは「表=裏、裏=表」つまり四値論理・4サイクルエンジン。「表裏消失=無」という意味での「ワンネス」。

○「中和」とは「表裏一体」、ねじれが見えていない状況。面に張り付いた次元であり、全体が一つの帯であると見ている。これがねじれが見えていない状況での「ワンネス」。2サイクルエンジンのまま、「表裏一体」としての「ひとつ=ワンネス」を見たという状況。

 

 

 

ここまで、引用終わり。

 

 

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私が一体どこにいたかというと、まさに「中和」の視点にいた訳です。

たぶんハチカフェをじゃんじゃん回してた時は「無限」をテーマにしてた(イメージしながら行動するという意味)だけあって、身体ごとメビウスの輪の視点に立ってたんですね。

そこから、また更に「自己探求したい」と思い立って、完全に主観で宇宙が成り立ってるのなら、本当に宇宙に「私」しかいないのなら、どうなるかやってみよう♪とこっちの視点に立ってみたのです。もちろんよく分からないので感覚なんですが。

 

とにかく観察して、観る、自分の中だけに立ち戻る。

起こる出来事をそのように捉え続けました。

 

そして、どーなっていくかと言うと。

 

 

 

 

 

 

 

そして、誰もいなくなった。

 

 

 

 

 

 

 

正確には、3次元に本当に誰もいなくなるまでには至りませんでしたが、感覚的に「超列な孤独感」というものがやってきました。でもそれを観察すると、たしかに圧倒的な静けさと安らぎ(のようなもの)に包まれます。

 

ああ、「孤独感」と感じるものは思考がそういう名前をつけてるだけで、本当は何もないんだと感覚として分かるようになりました。

 

でね、それを私が本当に求めてるのかっていうと。

 

 

 

 

 

 

 

 

これ、ただの不感症じゃん。

 

 

 

 

 

 

 

毎日、起きるたびに、ああ、まだ身体がある、ってホッとした。

まじでなんにもなくなってくるんですよ。

自分透明になったか?って思うぐらい。

実際に会える人は本当に限られてくるし。

世界から色が消えていくんですね。

モノトーン。グレー。うすーくなってくる(笑)

 

 

 


ハートから聞こえてきた感覚もシーン、静寂。

望みとか欲望とか特になし。

ほんとーに何もないんですよ。

 

 

 

 

これが「委ねる」「無我」と呼ぶのなら、ある側面ではそうかもしれない。

しかし、世界を観ると(出来事を眺めると)やっぱり裏と表は別れていて、「表裏一体」ではある(つながってひとつの輪になる)けれども、裏と表がハッキリ分かる状態です。

 

 

 

 

この世界の捉え方だと、真剣無気力になります。

生産性なし、ただの植物、人間やってる意味がなくなります。

ま、宇宙的にはただ存在してるだけでいいんだろうけど。

今回、魂に記憶されてるわたしのプランとは違ったということです。

 

で、ここですっかり忘れてた、普通の真実に立ち戻ったわたくし。

 

 

 

 

 

 

人間としての幸せを体験しに来たんだった!

 

 

 

 

 

 

ブログから引用

 

私とあなたが向かい合うとき、「私と私から見たあなた」という2者の関係がある。だがそれだけではない。その裏側にもう 一つの関係性がある。それが「あなたとあなたから見た私」である。

 

引用終わり。

 

 

 

 

 

【世界はわたしが創っている】このわたしとは、完全主観の世界です。

世界は外側から体験する物質的側面からの探求を終えると、内側の探求が始まります。それが【世界はわたしが創っている】

で、その【わたし】は誰なのかっていう探求が始まって、行き着くと【わたし】はいないって所まで行ってしまいました。これ、理解じゃなく体感レベルね。

きっと一昔前までは、めちゃくちゃ修行して身体に相当な負荷をかけないといけないトランス状態だと思うんです。

 

でも今は地球の強烈な次元上昇により、誰でもすんなり体感できるレベルまで高い振動数になっているということです。(驚愕!)

で、わたしはあなた、あなたはわたし、わたしから観たあなた、で、宇宙を眺めて体験するところまでいって、すっぱり抜け落ちてたのが【あなたから観たわたし】。

 

すっっっっごい基本的なこれ。

すっぱり抜け落ちてました。

 

 

 

 

 

「あなたから観たわたし」

 

 

 

 

 

これが成立することで、初めて物理次元が成り立つんですよ。

世界から観たわたしがいなくなってた。

だから世界がなくなったんだ。

 

と、ほんとに体感としてやってきました。

わたしの世界に色が戻ってきた瞬間です。

 

で、それがつい3日前ぐらい。

 

 

長くなったので続きます(笑)

 

 

 

 
 



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