直線のタイムラインの身体である「わたし」と
立体的なホログラムの「わたし」がいて
直線的な時空の身体にフォーカスすれば、
今がどこでどんな設定で
どんなわたしがいて
どんな現実(夢)を創るか
どうすればいいか分かるのに
拡大した立体的なホログラムは、
もはやコントロールなんかできないんだ。
朝起きるたびに、まだ身体に意識が宿っていることに感謝する。
もしかしたら、わたしたちの物質を形作っているフィルター
(だってほんとうは光しかない)は、
言葉に現すとしたら、「感謝」っていう周波数なのかも?
あ、ちがうな。
「執着」っていう糊でくっついてる?
わたしの本体は、
まだこの夢の世界(現実だけど)の体験を望んでる。
周波数を物質に変換して感知するセンサーは
「執着」(自我)で、その体験を感じるフィルターは「感謝」だ。
(あくまで言葉にするなら、だけど)
「執着」は、ぎゅっと詰まってて
引っ張られるような重力があって、しっかりと確かな感覚。
「感謝」は、ほわっとして安心するような、ぬくぬくした感覚。
あと、この中心からわき上がる
とめどない生命力のパワフルなエナジー。
これを言葉にするなら「喜び」。
「快楽」とか「悦楽」とか「エクスタシー」とか
きっと密教で「クンダリーニ」とか言われてるやつ?
とにかく、すっごく気持ちいいの。
言葉は難しい。
言葉にしたら、感じた世界とまるで違うものになる。
言葉の世界は分離の世界。
話せば話すほど、それらは放されて、離れてゆく。
ごめんなさい
許してください
ありがとう
あいしています
宇宙の法則を使って生きるとしたら、言葉はこれぐらいで十分。
顕在意識は、あらゆる次元のエネルギーを
ある一定の周波数帯のみしか感知せず、
その身体という幻想によって、
光の周波数を物質世界に変換して疑似体験する。
しかも、それらは全部人間たち(魂)固有の
「自由意志」によって体験できるんだって。
真実から遠く離れた神様(わたし)の遊び。
うん、やっぱり地球はすごいところだ。
まだ、やっぱり、地球(ここ)で遊びたいな。
執着を手放す予定は、もう少し先でいい。

