David Young の “Stasi Child”
年明け早々、香港の出版関係者数名の行方が、わからなくなったことが報じられた。この書店は、中国政府に批判的な書物を出版していたようでる。
また、この事件を報じたNHKのTV放送が、中国では途中でカットされたという。
本件について、中国政府は関与については否定している。真偽の程はわからない。しかし全く無関係とは考え難い。
言論の自由が、政府権力によって強圧されるのは、大変気味が悪い。そんな社会では、人間の精神・行動が萎縮する。社会の活力が失われてしまう。冒険心のかわりに,猜疑心が横行する。
ひるがえって、日本の場合は、言論の自由というよりは、むしろ野方図と、いいたいくらいである。例えば、現政権にたいして、言いたい放題である。
安保関連法の審議のときは酷かった。罵詈雑言とも言えるほどの言葉が飛び交っていた。大学教授と言われる人の中にも、どうかと思われるものがあった。言論の自由という前に、人間の品性を疑いたくなるようであった。
問題はあるにせよ、日本のこの現状は、言論の弾圧より遥かにいい。日本のように有難い国は、そんなに沢山あるわけでないことを十分承知しておきたいものだ。
北朝鮮は論外としても、韓国だって、日本と同じではない。中近東、アフリカ、南アメリカ等、言論の自由が保証されていない国々は、数えあげればきりがないのではないか。
日本も、戦前、戦時中の一時期は、言論の自由は著しく阻害されていた。いまの中国以上、むしろ、北朝鮮並みであったろう。
当時のことを、曲がりになりにも理解できたかも知れない、最低の年代を、仮に、10歳、小学校上級生くらいとしよう。彼等は既に80歳。日本人の平均寿命は80歳強だから、当時のことを体感している人間は、もう殆ど存在していないことになる。
同じ敗戦国のドイツはどうか。
ベルリンの壁が取り払われたのは、ほぼ四分の一世紀前に過ぎない。それまでは、東側の人たちは、ロシアの支配下で、厳しい言論弾圧を受けていたのである。そのための政府機関が、本書の題名となっているStasi、簡単に言えば秘密警察である。前記と同じ計算を適用すると、すくなくとも、35歳以上の人は、当時の状況を体感しているといえる。社会で活躍している人の殆どが該当する。
彼等は、ああいう社会は、こりごりだと思っていることだろう。同時に、権力で他人を押さえ付ける快感を、懐かしがっている人もいるかもしれない。
わずか四分の一世紀前に、一国としての言論の自由を獲得したドイツは、今やEUのリーダーである。その統治のために、採られる手段は、勿論、言論の弾圧を含む強権ではない。それに代わるのは、複雑な、数々の規制である。これは恐らく、ドイツは大変得意な分野だ。
イギリスは、規制だらけのEUのあり方に、疑問を呈している。国家運営の自由が阻害されているという。現状が改善されなければ、国民投票に付したのちに、EUを脱退する覚悟があると公約している。
イギリスの改革案は、ある程度受け入れられるのではなかろうか。ドイツ以外の国々は、ドイツがあまりにも強力になることを、望んでいないだろう。ドイツを牽制する力のあるイギリスを、EUの中に留めておきたいと望むに違いない。これは、極東の一暇老人の予想に過ぎない。
そのイギリスだが、昨年、中国との関係で,二つの大きな出来ごとがあった。
一つは、いち早く、AIIBへの参加を表明したこと。もう一つは、異常とも言えるほどの周主席の歓迎である。
中国の金に目がくらんでしまった。かっての大英帝国の矜持は何処へ、という気持ちにさせられた。イギリスにはイギリスの事情があるのだから、日本の期待が裏切られたといって、責めることはできないのにも拘らず。
この問題に、ドイツという補助線を引いてみると、少し違った風景が見えるように思う。
ドイツは、中国と非常に親密な関係を保っている。メルケル首相は,毎年のように、大規模な代表団を引き連れて、北京詣でをしている。日本へは7年ぶりに来たに過ぎなかったが。
ドイツは、中国と手を結ぶことによって、ユーラシア大陸の覇者たらんとする野望があるのではないだろうか。この国には、自己膨張力のようなものがある。覇者にならなければ、気が休まらないところがあるように思える。二度に及ぶ世界大戦が、そのことを証明している。
今や、第三次大戦の準備が進んでいる、といえるのではなかろうか。ただし,今度は武力ではなく,中国と手を携えた経済力で。
もともと、中国は、マルクスの思想を根底においた、共産主義の国だ。マルクスはドイツ人。両国の間には、精神的な縁戚関係があるといえなくもないのである。
イギリスは、このドイツの覇権主義に、危機感を持っているのではないか。イギリスは、正面から、ドイツと二度の大戦を戦った唯一の国である。その経験から、ドイツに対する、根強い不信感があるように思う。
ドイツが中国と手を結び、ユーラシア大陸の覇者として、イギリスを睥睨するようなことになる事態は、避けたいと思っているだろう。そのためには、イギリスとしても,中国との関係を強める必要がある、中国のヨーロッパに対する関心を、ドイツに集中させておきたくない、と考えているのではなかろうか。当面の経済的メリットの追求の底には、そんな意識も窺えるように思える。
本書は、ベルリンの壁崩壊前の、東ベルリンが舞台である。若いイギリス人による作品だ。
どうして、この時代を、作者は選んだのか。読んだ限りでは、作者に、現在の世界情勢について、格別、強い政治的な関心があるようには思えなかった。面白い小説を書くために,誰もが手をつけていない舞台を選んだに過ぎないのかもしれぬ。
あるいは、出版社には、イギリスにおいて、ドイツへの関心が高まってくるという予感があるのか。ともあれ、これからの、ドイツとイギリスを中心とする、ヨーロッパの動きには目が離せない。加えて、移民問題が大きなインパクトを与えそうである。
私は、近いうちに、ユーラしア大陸におけるドイツの動きをテーマにした、スパイ小説が書かれるのではないかと、勝手に想像している。
さて、小説のほうである。
舞台は1975年の東ベルリン。
東西ベルリンを隔つ壁の東側で,一人の少女の射殺された死体が発見された。死体の位置、銃弾の痕などから判断すると、西側から、東へ逃亡しようとして,西側の衛兵に射殺されたものと思われた。
事件を担当するのは、中年へさしかかりの女性刑事。彼女は、一見したところ明らかなように見えるこの事件に不審なものを感じる。そもそも西側から東側へ逃亡する者があるだろうか。
東ドイツの秘密警察Stasiからも、この事件を極秘裏に捜査して欲しい、との要請があった。秘密警察が関心を持つのはなぜか。なにか、国家的陰謀が絡んでいるのか。主人公には、それは謎のままである。
現場を精査した結果、残っていた自動車のタイヤ痕から、それは高級なリムジンのものであることがわかった。東側にはないタイプの車である。刑事は西ベルリンへ行って捜査を続ける。
警察の活動と併行して,ある児童矯正施設の状況が描かれる。この施設は、社会に不適応な行動のあった少年少女を、矯正するのが目的。かれらは、毎日,厳しい監視のもとで、家具製造等の仕事に従事している。その中には、ひそかに脱走の計画を練っている者達がいる。
二つの舞台は、はじめは無関係のようであるが、だんだんとそれらが一つになっていく。
矯正施設の舞台は、全く冒険小説風である。本書は、警察小説と、冒険小説の二本立てと言えばよいだろう。警察小説の場面では、少しずつ真相が明らかになっていく過程に、サスペンスを感じる。冒険小説の場面では、脱走を企てる少年達の運命に、はらはらさせられる。一冊で二度楽しめるという趣向である。
秘密警察が権力を恣にする社会の怖さを描くことには、作者は、あまり熱心ではないように見受た。前記のように、作者は、政治的アピールよりも、ともかく、面白いエンターテインメント作品を書きたかったのだろう。
作者の意図は十分に達せられている。面白かった。
ただし、主人公の個人的な背景が、事件に深い関わりを持っているという設定には、やや,不自然なものを感じた。偶然がかさなり過ぎている。作者の力量なら、そんなものに頼らなくてもいい。惜しいと思う。本書は、作者のデビュー作である。偶然に頼るメロドラマ的な趣向を、次作ではできるだけ排除してほしいものである。期待して待つことにする。
作者David Youngの生年などは不詳。写真でみると30台後半の感じ。若い。ロンドン市立大学で、犯罪小説について学位を得たとある。この道に進むことを計画していたようである。
なお題名にいうStasiは、東ドイツ国家警察の略。前記のように、秘密警察と理解しておけばよさそうだ。秘密警察の子供とは、何を意味するか。それは読んでから判るとしておいたほうがいいだろう。
