9.5. 亀茲の頭蓋変形と官製遊廓
AD560、Huna Coins最後のHephthaliteが滅びました。

しかし『頭蓋変形』は続いていました。唐の玄奘による、タクラマカン砂漠AD629-645の見聞記録「大唐西域記」で記録されています。「大唐西域記」はAD646に、唐の皇帝の太宗に奏上されました。宮中さらに庶民の間でも爆発的なヒット作になったようです。ここでは「大唐西域記」の日本語の解説本の「解説西域記」より、『頭蓋変形』部分だけ引用します。
※ この「解説西域記」は日本の古い文語体で書かれています。現在の日本の口語体の語尾の「…です。」,「…します。」, 「…しました。」等が無いだけで、ほぼ同じなので読めると思います。

 

「解説西域記」
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946495/7?tocOpened=1

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[解説西域記, 卷第十二, pp974-975 (562/693)]
第十三節 佉沙國・・・    【本文】省略
【解釈】・・・巧なる毛織物を製造す。氣候和順なれども人民は徳義禮讓を重んぜず狡猾にして往々詐偽を行ふ。風俗頭部の偏平なるを好み、子女生るれば其頭を押し強いて平ならしめんとす[この俗屈支國にあり、巻一、四三頁参照]容貌野卑にして文身をなし碧眼を有す。其文字は本と印度より傳へ、幾分か變化せりと雖も、大體は舊形を存す、言語は四隣の諸國と異れるものあり。篤く佛法を信じ喜んで供養をなす、寺院數百、小乗有部の僧一萬餘、三藏及び・・・”

 

[解説西域記, 卷第一, pp42-43 (62/693)]
第四節 屈支國・・・    【本文】省略
【解釈】『魏書』巻一百二 龜茲傅には收稅法を說て「稅準レ地徵レ租無レ田者則稅一銀錢一」即ち土地を所有する農民には地租を徴し、商工業者には銀錢を以て稅を官に納めしむといへり。又同傳は龜茲の風俗・物産略ぼ焉耆に同じと傅ふると雖も、『西域記』の文に依れば、特に音樂を以て近隣諸國の間に名ありといふ。『魏書』龜茲傳には「俗性多淫、置二女市一收二男子一、錢入官」といへば、龜茲の人民は音樂に巧なるより狭斜の地を設け、官の保護ある遊廓を造れり。生兒の頭部を押へて平坦ならしむるは此國の奇習なるが如し。此國の佛教は玄奘時代には小乗有部にして寺院百餘、僧徒五千餘人、能く梵本に就て佛書を讀む。”


629年-645年の見聞より、佉沙國と屈支國(亀茲)で『頭蓋変形』が行われていました。さらに屈支國(亀茲)では、“官の保護ある遊廓を造れり” つまり亀茲には官製遊廓があったようです。まだ唐の長安には政府公認の遊廓は無かったようで特記されています。この亀茲の風習が日本の戦前に似ています。

 

唐の情勢が変わってきます。

655-690年、皇帝の若い妃の則天武后による垂簾政治です。この間に朝鮮半島・日本でも大きな変化があります。

661年の斉明天皇の急遽。663年の百済滅亡。668年の高句麗滅亡。
690-722年、則天武后自ら皇帝に即位。中国初の女帝です。日本でも持統天皇が即位します。日本は女王卑弥呼、推古天皇、斉明天皇などの前例がありました。

 

この頃、日本では平城京に遷都し、日本書紀で『神功皇后』の記述があります。旧唐書でも「日本國」の記録があります。

平城京では752年に「インド僧侶」を招いて「大仏開眼」が執りおこなわれました。日本国の威勢を示し、日本国が世界に知られた時です。

 

そして『神功開宝』の初鋳が765年です。770年に光仁天皇が即位し、桓武天皇は皇太子となりました。781年、桓武天皇が即位しました。

 


※ 大唐西域記の往復路
往路は赤です。往路は赤①-赤③までが天山南路です。しかし赤③→赤④で突然の天山の山越えです。赤④-赤⑳は天山北路です。図を見て分かる通り少し変則経路です。⑰「佉沙國」を避けています。

 

復路は紫です。復路は緑①から西域南道で帰路につきます。復路は唐の皇帝から直接の帰還命令が出ていましたから、護衛がついていたのでしょう。「佉沙國」も通過しています。

 

往路の赤③→赤④で急に経路を変更したのは、緑⑰の「佉沙國」の治安が予想以上に著しく悪化していた為ではないかと思われます。

 

現実的に②屈支國、③跋祿迦國の現状は、『頭蓋骨変形」、俗性多淫で官製遊郭という現状で、命の危険も感じていたでしょう。さらに次の⑰「佉沙國」はまだ酷いという噂を聞いたのではないでしょうか。赤③→赤④の北方向への天山越え経路は今でも道路が無く、氷結の険しい山道で命の危険もあります。

しかしそれ以上に、⑰「佉沙國」を避けることを最優先したようです。

 


※「大唐西域記」に登場する全ての国名の一覧表
https://dl.ndl.go.jp/info:ndljp/pid/946495/7?tocOpened=1
 

「大唐西域記」往路:
0.高昌, 1.阿耆尼國, 2.屈支國, 3.跋祿迦國, 3a.大淸池, 3b.素葉水, 3c.素葉水城, 3d.千泉, 3e.呾邏私城, 3f.恭御城, 4.笯赤建國, 4a.白水城, 5.赭時國, 6.㤄捍國, 7.窣堵利瑟那國, 7a.葉河, 8.颯秣建國, 9.弭秣賀國, 10.劫布咀那國, 11.屈霜儞迦國, 12.喝捍國, 13.捕喝國, 14.伐地國, 15.貨利習彌伽國, 16.羯霜那國, 16a.鐵門, 16b.覩貨邏國, 17.呾蜜國, 18.赤鄂衍那國, 19.忽露摩國, 20.愉漫國, 21.鞠和衍那國, 22.鑊沙國, 23.珂咄羅國, 24.拘謎陀國, 24a.縛芻河, 24b.活國, 25.縛伽浪國, 26.紇露悉泯健國, 27.忽懍國, 28.縛喝國, 29.銳秣陀國, 30.胡寔健國, 31.呾刺健國, 32.揭職國, 33.梵衍那國, 34.迦畢試國


「大唐西域記」復路:
漕矩吒國, 1.弗栗恃薩儻那國, 2.迦畢試國, 3.安呾羅縛國, 4.闊悉多國, 5.活國, 6.瞢揵國, 6a.阿利尼國, 6b.曷邏胡國, 7.訖栗瑟摩國, 8.鉢利曷國, 9.呬摩呾羅國, 10.鉢鐸創那國, 11.淫薄健國, 12.屈浪拏國, 13.達摩悉鐵帝國, 13a.尸棄尼國, 13b.商彌国, 14.波謎羅川, 15.朅盤陀國, 16.烏鎩國, 17.佉抄國, 18.斫句迦國, 19.瞿薩旦那國, 20.媲摩城, 21.尼攘城, 22.覩貨邏國, 23.折摩駄那國, 24.納縛波國, 25.沙州