9.4. Whirlpool of Bhitari Pillar*
次図がインドのグプタ朝のスカンダ・グプタの"Bhitari Pillar"石碑です。
注目は、15行と16行目です。
Hunaが、グプタ朝のスカンダ・グプタへ攻め込み、グプタ朝が受けたダメージが記されています。


[India1871, pp94-95 Plate XXX line 15 and 16]


グプタ文字ですが、研究されて英語に翻訳したものがあります。
[A. M. Shastri, p379]   
<Original> "When he (Skandagupta) joined in close conflict with the Huṇas, the earth was made to tremble due to (the power of) his arms, since he caused a terrible whirlpool among the enemy by   ...   of arrows; the brilliant   ...  is proclaimed  ...  (which)
sounds like the twanging of (his) bow (sarṅga) in (their) ears."

<概訳> スカンダ・グプタがHunaと実際に戦闘した時、Hunaの力のために地面が揺れた。なぜならスカンダ・グプタは、敵のHunaの中で、渦巻き疾患にかかった。(矢の...により)  華々しい...宣言された。 ... 耳の中で、Sarnga(ガンジス川)の濁流の弓のような轟音。
<コメント> これは病気の話です。全く同じ病気に、罹った自分の体験談から言うと、カンジタ(Candida)です。耳鼻科で聞いた説明では、カンジタ菌により鼓膜に穴が開き、耳の奥から液が漏れ出してきます。むせる温泉の亜硫酸ガス(SO3)ではなく、硫化水素(H2S)の物凄く臭い液です。御トイレの匂いです。カンジタ性「耳漏」と言うそうです。さらに耳鼻科での説明では、耳の奥、内耳の平衡感覚をつかさどる三半器官(耳の奥の渦巻き)もカンジタ菌に侵されて、平衡感覚を失いフラフラします。

自分の体験談をもとに言うと、カンジタ(Candida)症です。

 

体験談と全く同じ症状です。完治するまで、相当期間、薬を飲んでいます。さらに耳浴、点眼、点鼻、全身ローションもしています。あわせて食事療法で、グルテンフリーと食酢の食事が、絶対に必要です。
※ 体験談から言うと、喉が痛くなった場合は、飲み薬を少し減らします。そしてリキッドタイプのGUM(R)で充分に歯磨き・充分にうがい・充分にすすぎをします。さらに歯茎の硬く痛い部分でオーラル脱脂綿薬を長時間噛んでいました。これは個人差がありそうです。

 

体験談から言うと、ポイントはリキッドタイプのGUM(R)で充分にうがいをして(数分以上)、充分にすすぎをして、直ぐにオーラル脱脂綿薬を噛むと効果的です。痛いところに押し付けます。さらにオーラル脱脂綿薬を噛んだまま、横臥で数十分間横になっていると、更に効果的です。夜は朝まで噛んでいます。

 

一方、食事は、グルテンフリーのために、レシピのバラエティーが制限されます。しかしライスピラフ、ビネガーポテトサラダ等、たくさん食べています。新レシピとして、米粉野菜テンプラは少し難易度がありました。米粉濃さ、テンプラ油温度、直前のベーキングパウダー添加など試行錯誤しました。(油分はキッチンタオルでほとんど吸収) そして米酢+醤油だし汁希釈(南蛮風のとろみ無)に、数分間ひたして食べる、自身新レシピです。わずかにサクサク感が残っているのを噛みながら食べる食感で、ご飯のおかずに最適です。

 

さらに体験談では、グルテンフリーに加えて、潤沢な酢の摂取が薬効を強め、回復が早いとの印象を受けました。上がらなかった左腕が上がるようになりました。そして脱脂粉乳(商品名スキムミルク)で飲み薬を飲んでいます!   Bye Bye

 


15行と16行目だけ見て、自分の体験談を話しました。前後しましたが、以下で "Bhitari Pillar inscription of Skandagupta" の解読のいきさつ・概要を見てみます。
[India1871, p99]

<Original>  "From the copy which I prepared in January 1836, a translation was made by Dr.Mill, which was published in. Prinsep's Journal for January 1837. "
<概訳> 私が 1836 年 1 月に作成したコピーから、ミル博士によって翻訳が行われ、Prinsep Journalの1837年1月号で発表された。

 

[India1871, p99]

<Original>  "As translated by Dr. Mill, the inscription refers chiefly to the resign of Skanda Gupta, closing with his death, and the accession of his infant son. The object of the inscription was to record the erection of a sacred image..."
<概訳> ミル博士によって翻訳されたように、碑文は主に、スカンダ・グプタの辞任、彼の死で終わること、そして彼の幼い息子の加入に言及しています。碑文の目的は、神聖な像の建立を記録することであり...

 

[India1871, p99] 

<Original> "In my remarks on the lower inscription on the Bihar Pillar, I have already noticed that all the remaining part of the upper portion of it, which contains the genealogy, is letter for letter identical with the first part of Bhitari record, and I repeat the notice here for the purpose of adding that, by a comj^arison of the two inscriptions, cveiy letter of the upper part of both, or about one-thu’d of the whole, may be restored without chance of error.*"
<概訳> ビハールの柱の下部の碑文に関する私の発言で、家系図を含むその上部の残りの部分はすべて、ビタリの記録の最初の部分と一字一句同じであることにすでに気付きました。 ここで、2 つの碑文を組み合わせることにより、両方の上部の文字、または全体の約 3 分の 1 の文字が誤りの可能性なしに復元される可能性があることを追加する目的でここに注意してください。
<コメント> ビハール石碑とビタリ石碑で、数行が全く同じであることより、今回の石碑からの写本が、間違いなく正確であることがわかります。次に、グプタ文字の解読ですが、最初のミル博士、その後もさらに他の例とも合わせて解読の研究が継続され、ほぼ正確なレベルのようです。

 



この"9.4."の引用文献
[India1871]  
Archaeological-Survey-Of-India--Vol-1.pdf
Alexander Cunningham, FOUR REPORTS, MADE DURING THE YEARS 1862-63-64-65, The Archeological Survey of India,The Government Central Press, 1871.

 

[A. M. Shastri]  images
Ajay Mitra Shastri, A Note on Skandagupta's Bhitari Stone Pillar Inscription, verses 8-12

 

[IN00036]  
Razieh B. Golzadeh, Bhitari Pillar Inscription of Skandagupta