前回の続きです。

*『アザの釉』
柚比遺跡群の前田遺跡の釉
 

[柚比遺跡群2 第1分冊, p p 1 7 8 - 1 7 9 ]
“谷部( S X 7 0 0 1 ) 出土の土器について。前項に記したように、S X 7 0 0 1 からは木器と共伴して中期前半の土器が出土している。土器の大半は甕で、その他に壺・高杯・器台・支脚などがある。このうち甕についてみると、体部に流しかけ風の施文があるものが認められた。施文は黒色で、外面に幾本も施されている。施文は、土器表面に薄く残存している程度で、化粧土のような厚みはなく、また、土器の胎土に浸透している様子もない。施文は一見すると、煮炊きした際、内容物が吹きこぼれ外面をつたって落ちた痕跡のようにも見えるが、甕の内面には同様の変色はなく、さらに、口縁部の外側には’溜まり’つまり液体の流れ終わった箇所が認められることから、甕を伏せ液体を幾筋も流しかけ施文したことが想定される(註5 ・6 ) 。なお、流しかける液体の量には多寡があり、間隔も不統一である。“


“このような施文については、ベトナムや中国における作陶に参考となる事例がある。ベトナムのチャム族や中国海南島の黎族は、焼成直後の土器の表面に樹液をふりかけ施文する(註7 ) 。いずれの例も、流しかけによるものではないが、前田遺跡から出土した土器についても、類似の施文が行われた可能性があると考えられる。付言すれば、チャム族・黎族の例では、作ったすべての土器について樹液を塗布するようだが、前田遺跡の場合、同じ層位から出土したすべての土器(甕) に同様な施文が認められるわけではない。同じ甕でも使用方法や使用目的の違いにより、作り分けられていた可能性も併せて考えられる。”

“註5 . 1 点だけではあるが、甕の内面に、外面と同じような筋状の模様が認められるものもあり、いよいよ内容物の吹きこぼれではないことが判る。”

“註6 . どの部分から流しかけたのかは不明である。胴部下半部については煤の付着が激しく、底部に関しても良好に観察できる”

“註7 . 1 9 9 8 年7 月~1 0 月に、世界・焱の博覧会実行委員会が主催し、佐賀県有田町・西有田町および佐賀県立九州陶磁文化館を主会場として、焼きものをテーマとした‘世界・焱の博覧会’が開催された。吉野ヶ里会場ではアジア各地に伝わる土器焼きが実演され、ベトナムからはチャム族の女性陶工3 人が来日し土器作りを行った。土器は、いわゆる野焼きで焼かれ、土器が焼きあがった直後、まだ熱いうちに「ポ」と呼ばれるピンク色の樹液が表面にふりかけられる。樹液は音をたて土器の壁面に焼きつき、黒いまだら模様の土器ができあがる。また、中国海南島の黎族も同様の施文を行っている(焼成直後の土器に葉のついた木の枝でたたきつけるように樹液を塗布する)。チャム族の例同様、樹液のついた部分だけが黒く変色し、まだら模様の土器ができあがる(西谷1 9 9 1 ) 。”



佐賀県の柚比遺跡群の前田遺跡の浅鉢・壺の『アザの釉』は、雲南省起源で琉球海路で有明海に上陸したようです。赤峰からの遠賀川式土器とは上陸経路が全く異なります。しかし土器の『アザの釉』に関しては類縁の種族です。またDolmen系の浙江省・福建省であれば、敵勢力の有明海には上陸しないはずです。Dolmen系と有明海のゴボウラ貝輪系は、腰岳の黒曜石で遺恨がありますから。

 

福建省に閩(びん)江という川があり閩越とも呼ばれます。これに対して、さらに南の香港・マカオ・海南島・ベトナム北部あたりは百越と呼ばれ区別されます。佐賀県の柚比遺跡群の前田遺跡は、この百越の海南島あたりからの航路で、有明海から上陸したグループです。百越という1つの種族がいるわけではなく、色々と異なる種族がいるようです。時代により有力な種族はいたのでしょうが、地域的に百越です。

朝鮮半島から芦屋に上陸した遠賀川式土器とは異なります。

しかし土器の『アザの釉』に関しては、近い種族です。


最後に、御笠川の住血吸虫汚染に話を戻ります。
[中・寺尾, p34]
“時期ごとの遺構について気が付くのは、以下のことである。
①. 弥生時代前期については、墓地はあるが、住居跡はみつからないこと。
②. 中期については両者が見つかっていてその数も他の時代に比べて格段に多いこと。
③. 後期についてはほとんどみつかっていないこと。”

[松葉園, p57]
“後期に入ると中・寺尾遺跡で1軒住居が見られる他は極端に少なくなる。”

 

弥生中期には、格段に多い墓地・住居跡が確認されています。しかし弥生後期は、突然、中・寺尾遺跡の1軒の住居跡だけです。大野城市の御笠川東岸の中・寺尾遺跡、森園遺跡、松葉園遺跡では、弥生時代に続いてきた集落を、弥生後期に突然放棄しています。

 

これが弥生中期末に御笠川の住血吸虫汚染の根拠です。弥生後期は集落を放棄しました。他の遺跡を見てみます。弥生後期は御笠川沿いに遺跡はありません。

※ 耳無し物語も予告していましたが力つきました。

引用文献
5. [中・寺尾]
九博, https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/library.html, No.312
中・寺尾遺跡III, 大野城市文化財調査報告書第54集, 大野城市教育委員会, 1999.

5-2. [雀居2]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17742
雀居遺跡2, 福岡市埋蔵文化財調査報告書第406集, 福岡市教育委員会, 1995.

5-3. [板付周辺21集]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/19836
板付周辺遺跡調査報告書第21集, 福岡市埋蔵文化財調査報告書第640集, 福岡市教育委員会, 2000.

5-4. [下月隈天神森Ⅲ]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17846
下月隈天神森遺跡Ⅲ, 都市計画道路福岡空港線・高木下月隈線建設に伴う埋蔵文化財調査, 福岡市埋蔵文化財調査報告書第457集, 福岡市教育委員会, 1996.

5-5. [御陵前ノ椽・書誌]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/58310 
御陵前ノ椽遺跡, 大野城市文化財調査報告書48, 大野城市教育委員会, 1997.

 

5-6. [御陵前ノ椽・考古No.20]
大野城市歴史資料展示室 解説シート 考古No.20, 大野城市教育委員会.
http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/120/020/kouko-20.pdf

http://www.city.onojo.fukuoka.jp/s077/030/010/120/040/20170803163832.html


5-7. [柚比遺跡群2 第1分冊]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/18633 
柚比( ゆび) 遺跡群2 第1分冊, 前田( まえだ) 遺跡, 鳥栖北部丘陵新都市関係文化財調査報告書3, 佐賀県文化財調査報告書第150集, 佐賀県教育委員会, 2002年3月.