太線は長野県・山梨県です。木曽川は西の岐阜県へ流れ下り、岐阜市で長良川と並流します。長良川は中国南部発祥の鵜飼で有名です。山梨県の金生遺跡の注口土器と共に、長野県・山梨県から木曽川を下った岐阜市も鵜飼より、浙江省・福建省など中国南部との関連が確認できます。


火焔土器派生系
ワクド石で出土した土器である。遠く長野県・新潟県の火焔土器から派生したと思われる土器系列である。
 


[ワクド石, p17図]

[ワクド石, p55]
“ワクド石遺跡出土の土器はそのほとんどが包含層出土のものである。そのため、土器片の大きさはちいさく、全体の器形を判断できるものは少ない。また、文様も限られた部分しか見ることができず、その特徴を十分に明らかにすることはできない状況にある。このため、土器を記述するに当たっては従来からの土器形式に見られる器形や文様に当てはめて記述する。なお、器形については現在まで報告されている器形を…図のように分類し、記述する。なお、器形は深鉢形・浅鉢形、椀形、高杯形、注口形の4つに大別した。”


[ワクド石, p64図]

図は深鉢形と浅鉢形がほとんどである。右端に椀形、高杯形、注口形がまとめられている。下段2段目が古閑式、最下段がリボンの黒川式である。黒川式に前後して山ノ寺式があり、縄文後期末~晩期である。図中の三万田式~天城式は、縄文前期~中期である。ワクド石遺跡の最盛期は、この時期である。

縦長剥片石器
次図はワクド石で出土した縦長剥片石器です。縦長剥片石器は新潟県の津南町が有名です。特殊な技法なので、技術習得者に限られ、系列がはっきりしています。九州では縄文後期の腰岳産の黒曜石石器に見られ、福岡平野にも点在しています。新潟県・長野県の千曲川・犀川から技術習得者が直接移住して来ていたことがわかります。

[ワクド石, p158図]

次の④土偶・彩色土器と⑤注口土器も、ワクド石遺跡で出土したものです。土偶・彩色土器と注口土器は、ヒスイ大珠が出土した山梨県北杜市の金生遺跡で見られます。金生遺跡の出土は、ほとんどが北杜市考古資料館(旧北巨摩郡大泉村歴史民族資料館)で、そして一部は山梨県立考古博物館で見れます。

土偶・彩色土
次図はワクド石で出土した土偶および彩色土器です。彩文土器、中国名は彩陶、Painted Potteryです。彩色土器は土偶とセットで出土します。遮光土偶は、青森県が有名ですから、これも北周りです。

[ワクド石遺跡, p112図]

[ワクド石, 巻頭写真]

注口土器
次図はワクド石遺跡で出土した注口土器です。注口土器も金生遺跡で出土しています。しかし注口土器だけは北周りではありません。浙江省・福建省の中国南部の土器です。朝鮮半島および日本の東北・北海道にはありません。沖縄経由の南海航路で渡って来たものです。紀元前2千年以降、抜歯風習に使われていたものだと言われています。

[ワクド石, p115図]

以上、①~⑤のワクド石遺跡の出土物の由来を見てきました。次図のように全て長野県・山梨県域に共通するものです。

翡翠原産地は糸魚川市を流れる姫川支流の小滝川上流域です。正確な場所は新潟県の西端です。同じく糸魚川市を流れる青海川上流の橋立地区にも一部かかっています。黒姫山の麓です。しかし小滝ヒスイ峡と青海ヒスイ峡は天然記念物域に指定されていますので採掘は禁じられています。ただ付近の海岸に打ち上げられているヒスイを拾うことはでき人気です。 


火焔土器は新潟県津南町が有名です。 

縦長剥片石器は、千曲川に犀川が合流する長野市付近です。犀川を最上流に登っていくと松本市そして諏訪湖にたどり着きます。諏訪湖を東へ過ぎると富士川支流の釜無川の最上流に至ります。釜無川の北岸に金生遺跡はあります。

土偶・彩文土器は、この金生遺跡で出土しています。 北海道・東北からです。

 

注口土器も、金生遺跡で出土しています。南海航路経由です。つまり金生遺跡では、北海道と沖縄からの文化を持ち寄り同居しています。さら金生遺跡ではヒスイ大珠も出土していることより、釜無川北岸、山梨県の八ヶ岳南麓の拠点遺跡であることがわかります。八ヶ岳の北麓は千曲川でこれは下流で信濃川になります。西麓は諏訪湖であり天竜川の源流です。どちらも長野県です。諏訪湖の北は犀川でこれは下流で千曲川に合流します。

北杜市考古資料館(旧北巨摩郡大泉村歴史民族資料館)はなんでここにいるのかわかりませんが、自分が悪かったようで白壁しっくい壁の住居が再現されています。また土偶と火焔土器が融合したような土器もあります。さらに同資料館では立石を伴う配石遺構などが見れます。立石は、モンゴルやミヌシンスク盆地で多く見られる鹿石ではなく、男性器をかたどったものです。配石は全て円形です。モンゴルのMoron近郊のオラーン=オーシグ遺跡では方形と円形の配石が混在していますが、ここでは円形配石だけで立石は男性器です。彩文土器などの出土遺物の一部は、遠いですが、甲府市内の山梨県立考古博物館で展示されています。


引用文献
1. [原の辻] 
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/14483
原の辻(はるのつじ)遺跡, 石田大原墓域緊急調査報告書, 原の辻遺跡調査事務所調査報告書第35集, 長崎県教育委員会, 2007.

2. [吉武高木]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17161
吉武高木, 弥生時代埋葬遺跡の調査概要, pp8-9 p16 巻頭2, 福岡市教育委員会 歴史資料館, 1986.

3. [比恵遺跡6次遺構]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/17040
比恵遺跡, 第6次調査・遺構編, 福岡市埋蔵文化財調査報告書第94集, p94, 福岡市教育委員会, 1983.

4. [馬渡束ヶ浦(市)] 
http://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/culture/002.php?mode=smart

5. [馬渡束ヶ浦(歴史)] 
https://www.city.koga.fukuoka.jp/guide/history/002.php
https://www.city.koga.fukuoka.jp/uploads/source/bunka/No21.pdf
https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/58510

6. [ワクド石]
全国遺跡報告総覧, https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/15867
ワクド石遺跡, 熊本県菊池台地における縄文時代後期集落の調査, 熊本県教育委員会編, 1994.