2. 旧石器・縄文時代の馬場と奥園

天満宮参道の街並みの地図です。旧住所の字では馬場・奥園・連歌屋だったので、連歌屋遺跡、馬場遺跡、奥園遺跡です。弥生時代の遺跡が全く無い地域です。

[連歌屋, p3]
“遺跡の始りは本報告にもあるがチャート製の石核が出土しており、旧石器段階にまで遡る可能性があるが、 遺構や遺物包含層がはっきり形成されているのは、新町遺跡3次調査で確認された縄文晩期後葉の黒川式期を 待たなければならない。本報告においても当該期のものと考えられる土器片や石敷片の出土が報告されており、 当時の生活ステージとして周辺が利用されていたことがわかる。”

 

※ 最初におことわりしておきますが、各遺跡は発掘調査後に宅地造成や道路工事により削平され残念ながら残っていません。新興住宅地であり現在の居住者は遺跡とは無関係です。


新町3次は報告書が公開されていませんが、縄文晩期後葉の土器が出土したようです。

藍染川中流域の拡大図です。斜太線が藍染川です。藍染川の両岸が馬場遺跡です。藍染川は図の右下の馬場7次から西へ流れ下ります。図中の破線です。逆に馬場7次から少し登ると九州国立博物館です。浦ノ田遺跡です。一方、馬場8次から藍染川は南の奥園遺跡の方へ曲がり、流れ下ります。奥園1次~5次の区域では藍染川は南へ流れ下ります。奥園遺跡の区域を過ぎると西南方向へと流れを変えて、図には無いですが更に南の五条で御笠川へ合流します。つまり馬場遺跡と奥園遺跡は、藍染川の小平野部の遺跡です。

[馬場6・7次, p5 p100]
<原文> “馬場遺跡は、太宰府市の北東に位置する太宰府天満宮の周辺に所在する遺跡の1つである。標高は50m前後に立地している。旧小字「馬場」の範囲を便宜的に遺跡名にしているため、範囲内の遺構の展開は多様である。古くは、縄文時代早期の遺物が出土した浦ノ田遺跡が北東部に位置している。馬場遺跡からみて南西部に位置する奥園遺跡・新町遺跡では縄文時代晩期の遺物がある程度まとまって出土している。”
藍染川の小平野部は、縄文時代早期および晩期に人が住んでいました。

3. 旧石器・縄文時代の天満宮と浦ノ田

 

天満宮と浦ノ田遺跡です。浦ノ田は現在の九博(九州国立博物館)です。峠の東側の原川(筑紫野)沿いの県道35号から誘導路が新設されています。この誘導路沿いに遺跡が連なっています。この原川の両岸に宝満山遺跡23次と原(筑紫野)遺跡があります。この2つの遺跡では、縄文時代の大量の押型文土器が出土しています。後で詳しく見ます。

図が九博建設前の等高線図です。浦ノ田Aと浦ノ田B遺跡が確認できます。両遺跡この間に小丘が確認できますが、ここを平坦に整地して、九博が建設されました。

浦ノ田Bでは縄文早期の遺跡が発見されています。集石炉と押型文土器の遺跡です。縄文後期終末の遺跡も確認されています。つまり縄文時代は継続的に居住していました。しかし弥生の遺跡はありません。藍染川の源流です。
 
押型文土器は、近くでは峠向こうの原(筑紫野)遺跡、シリーズ3の貝元遺跡の少し上流の萩原遺跡などで見られます。押型文土器が出土する遺跡では、黒曜石の石器出土は数点ですが、黒曜石グループとも少し交流はあったようです。

引用文献
※ 九博>西都大宰府>資料ライブラリー(右端)
https://www.kyuhaku.jp/dazaifu/library.html

1. [大宰府史跡Ⅳ] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.460
大宰府史跡発掘調査報告書Ⅳ, pp.6-7, 九州歴史資料館, 2007年

2. [馬場4次] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.321
馬場遺跡(九州電力太宰府変電所建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書), p3 p34 p37, 太宰府市の文化財第41集, 太宰府市教育委員会, 1999年

3. [馬場8次] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.448
馬場遺跡2, p4 p53, 太宰府市の文化財第87集, 太宰府市教育委員会, 2006年

4. [馬場6・7次] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.477
馬場遺跡3, 太宰府市の文化財97集, pp.5-6 p66 p67, 太宰府市教育委員会, 2008年

5. [奥園2・3次] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.382
奥園遺跡, 太宰府市の文化財第64集, 太宰府市教育委員会, 2002年

6. [大町] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.209
大町遺跡(西日本鉄道太宰府駅駅舎改築に伴う埋蔵文化財発掘調査報告書), 太宰府市の文化財第18集, 太宰府市教育委員会, 193年

7. [天満宮] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.171
太宰府天満宮, 太宰府天満宮境内地発掘調査報告書第1集, 太宰府天満宮, 1988年

8. [天満宮Ⅱ] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.195
太宰府天満宮Ⅱ, 太宰府市の文化財第15集, 太宰府天満宮, 1990年

9. [天満宮参道] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.221
太宰府天滿宮参道(鳥居解体等に関する調査), p27p28, 太宰府市の文化財第19集, 太宰府市教育委員会, 1993年

10. [天満宮Ⅲ] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.253
太宰府天満宮Ⅲ, 太宰府市の文化財第26集, 太宰府市教育委員会, 1995年

11. [浦ノ田A・B] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.266
浦ノ田A・B遺跡, 福岡県文化財調査報告書第126集, p2 p14 p16 p19 p35, 福岡県教育委員会, 1996年

12. [浦ノ田Ⅱ] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.332
浦ノ田遺跡Ⅱ, 福岡県文化財調査報告書第155集, p16 p26 p125, 福岡県教育委員会, 2000年

13. [浦ノ田Ⅲ] or [宝満山23次] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.367
宝満山遺跡群・浦ノ田遺跡Ⅲ, 福岡県文化財調査報告書第169集, p7, 福岡県教育委員会, 2002年

14. [浦ノ田Ⅳ] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.409
浦ノ田遺跡Ⅳ, 福岡県文化財調査報告書第189集, 福岡県教育委員会, 2004年

15. [原(筑紫野)] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.234
原(HARU)遺跡, 福岡県文化財調査報告書第119集, 福岡県教育委員会, 1994年

16. [原2(筑紫野)] 九博>西都大宰府>資料ライブラリー, No.440
原(はる)遺跡2, 筑紫野市文化財報告書第86集, 筑紫野市教育委員会, 2006年
連歌屋遺跡1, 太宰府市の文化財第68集, 太宰府市教育委員会, 2003年