ヨーロッパ最古 | 謎のこうのとり 

ヨーロッパ最古のボローニャ大学

創立は1088年、日本では平安時代の後期である。

主要街道が交差しているボローニャは物資の集散が盛んであったそうな。

そういう位置的なことからローマ研究の一大中心地となり

探究心旺盛な学生がボローニャの法学者の元に

集まり、勉強していたそうな。

そのことを聞きつけて、欧州のいたるところから学生が集まるようになった。

学生たちは出身地別の学生団体である国民団をつくり

それが組合となったのが1088年なんだそうな。

ダウン中心は功績を残した教授の記念碑ダウン周りは卒業生の紋章ダウン

ラテン語のウ二ウェルシスタは自治的な組合という意味で

ユ二ヴァ―シティというのは自治組合のこと。

学生が管理する大学なので、教授の人選は学生。

授業内容も給料もすべて学生が決めていたそうな。

なので、つまらない講義をする教授からは罰金を取り、

改善されなければ教授はお払い箱になったそうな。

ボローニャ大学に校舎ができたのは1563年。

それまでは教授の家や町の広場、教会が学びの場だった。

その校舎が現在では市立図書館になっている「アルキジンナジオ館」

この建物の中には1637年に設けられた大解剖室もある。

二層の回廊

時計はボローニャ大学が現在の場所に移る1803年まで200年以上も

授業開始の鐘を鳴らしていたそうだ。

階段を上り、奥にチケット売り場があるので、3€を支払うと

大解剖室とスターバットマーテルの広間が見学できる。

17世紀の解剖室

床中央に木柵で囲まれた大理石の台があり

ここでは助手3~5人がかりで解剖が行われたそうな。

周囲は三段の見学席になっていて、正面のりっぱな椅子は教授が座り

そこから解剖の指揮をとっていた。

全体は木製、香りの高いモミを使うことで死体の匂いを減らしていたそうな。

当時、医学部には女性の教授が4人もいて、公開の解剖だったので

市民であれば男女関係なく見学席に座る権利があったそうな。

スペッラーティ(皮を剥がれた人)二体

この二体の上の天蓋には医学の偶像のメディチーナと天使

天使は大腿骨を手にしている。

見学席の天井近くの壁には小さな穴がある。

異端取締りを受け持っていたドミ二コ会の神父が穴から

見張っていたそうな。

当時、人間の心臓には心が宿っているとされていたため

神について考えるための心臓についての

説明はしてはいけなかったそうな。

天井は占星術に基づいてアポロン他14の星座の装飾となっている。