聖ステファノ聖堂からサン・ドメ二コ教会へ向かうボルティコは
ブランドショップが軒を連ね、高級感があった。
サン・ドメ二コ教会も日曜日なのでミサをしていたけれど
静かに「聖ドメ二コの石棺」がある礼拝堂に行く。
円柱の上には「祝福を与える聖ドメ二コ像」
1221年8月6日聖ドメ二コが亡くなった直後に教会建設を始め
1251年に献堂式が行われたそうだ。
現在の建物は18世紀に改築されたもの。
11世紀、フランスではカタリ派の教義が勢力をふるっていた。
教義の要は極端な清浄思想であり、礼拝も聖堂も十字架も聖画も
必要なく、ただ聖書を朗読すればいいというものだったそうな。
以前、読んだケイト・モス著の「ラビリンス」は十字軍によるカタリ派の
虐殺と聖杯伝説の歴史ファンタジーだった・・・たしか。
そのカタリ派はカトリックにとっては異端となるので
司教や神父を送り、カタリ派からカトリックに改宗
させるため懸命になっていた時代があった。
その時代にカタリ派を教化した功労者の一人が聖ドメ二クスである。
3世紀の年月をかけて制作された「聖ドメ二コの石棺」
この石棺の彫像の中でミケランジェロが製作したものが3体。
「燭台をもつ天使」
「聖ぺトロ二ウス」 「聖プロクルス」
ミケランジェロは1494年から1年間、政治不安定のフィレンツェから
逃れて、ボローニャにいたことがあり、
この三体の彫像はその時の仕事なんだそうな。
その時、ミケランジェロは19歳だった。
他にも主祭壇の後ろ聖歌隊席にあるオルガンは
1770年、イタリア学旅の途中のモーツァルトが「主よ、憐みたまえ」を
弾いた由緒あるもので、見たかったが
ミサのため、立ち入りができず、早々に退出した。
教会の外ではご近所の方がそれぞれ寛いでいた。
もしかして、これはボローニャ名物のタブロイド判の新聞か?
こっそりズームで写真を撮るが、確認できず。
緑が美しいカヴ―ル広場を抜け、アルキジンナーシオ宮に向かう。
つづく