フィレンツェ・サン・マルコ修道院のもう一人 | 謎のこうのとり 

ヨーロッパでよく見かける椅子、こんな構造になっているのかぁ



このフレスコ画は「マギの礼拝」
コジモ・ディ・メディチ専用の僧房に描かれている。
服装は1439年の宗教公会議の時、フラ・アンジェリコが目にしたものだと
言われている。
短い階段付きの小さな部屋、天窓からは柔らかい光が射しこんでいた。

ジロラモ・サヴォナローラの部屋

サヴォナローラはフェラ―ラ出身の修道士で「火を噴くような説教」を
すると塩野七生さんは「わが友マキアヴェッリ」の中で述べている。
サヴォナローラはメディチ家を圧政と称して、なんとフィレンツェから
メディチ一家を追放した人でもある。
そして、1497年2月7日謝肉祭最後の日、シニョリーア広場で謝肉祭用の
色とりどりの贅沢品と一緒に異国の絵画、彫刻、書物も焼却したそうな。
その価値を知るベニスの人が買い上げたいと申し出たのに
堕落の見本だと追い返されたという。

翌年、サヴォナローラは同じシニョりーア広場で火あぶりの刑で罰せられている。
骨片と灰はひと匙も残さずアルノ河に投げ捨てられたそうだ。

メディチ家が経済的援助を惜しまなかったサン・マルコ修道院で
清貧に生きたフラ・アンジェリコの清楚で美しいフレスコ画、
その修道院長のサヴォナローラはメディチ家を追放し、フィレンツェの政権まで
握った、同じ僧でありながらこうも生き方が違うものなのかと感じ入ったずら。





展示室の係り員はあまりにも静かな環境で
居眠りしていた。