再認識 | 謎のこうのとり 

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俗に言う「てんねん」には定義があることに気がついた。

それは「てんねん」である本人に「てんねん」という自覚がないということ。


妹夫婦、甥、母とともにお墓参りに行く車中でのこと。


  母 「あらっ、この車は新しいわね、私乗るの初めて」


おいおい、春から何度も乗っているずらよ。かんべんずら。

しかし、この母の場合は「てんねん」ではなく、明らかに老人性ナンチャラだと思われる。


そして、妹の場合・・・・・。


  妹  「新しいテレビ買ったじょ。お姉ちゃんちのより新しい機種。ふふふん

       なのにぃー、お姉ちゃんが買った値段と同じじょ、ふふん」


 これはちょー得意げの顔の特徴を如実に示している。私が分析官でなくても、すぐにわかったずら。


妹は電器屋に説明してもらった内容と私が以前妹に説明したテレビに関する情報を比べながら

滔々と述べる。しかし、残念ながら妹は私が話した内容をほとんど理解していなかったことが

発覚。

私は同じ機能が装備されているA社とB社で、なぜ価格の差があるのか?

それはB社がその製品を発売した日がA社よりも遅くて、この時期値引き額がA社に比べて

低いということ・・・を説明したはずなのに、

これをA社内の製品でひとつ古い機種を私が購入したため、安くなったと勘違いしていたのだ。

まだまだ、この聞き間違いは続く・・・・・そのたびに指摘するのに対して、妹は電器屋で一緒に

説明を聞いていただんな様に

  「〇〇さん、お姉ちゃんに説明してあげて」とふったのだ。


結局、妹が買ったのは私が買ったのと全く同じテレビだった。はぁーDASH!

そんなこんなで、その会話を聞いていた甥は自分の母が「てんねん」それも筋金入りの

「てんねん」に気付いたことは言うまでもない。


そして、極めつけは 「私、最近よく『てんねんですねー』って言われるじょ。私、普通なのにじょ」


この日、一番驚いたこと、妹は自分のことを「てんねん」だと知らなかった。

しかも、それを指摘されても認めなかったということだ。


まさにまさに「てんねん」である条件に当てはまっているのだ。

こまったやつじゃドクロ