水曜日の謎の団体の会議に、私の担当団体の紳士がやってきた。
このお方、「しぇーっーイヤミだじょー」のイヤミに似ているので
以下、「イヤミダジョーー紳士」と呼ぶ。
火曜日の会議の時、イヤミダジョー紳士に質問されたことに私は誤った返答をした。
その誤りを会議が終わり、昼休みに気づく。
自分が間違った情報を教えてしまったことに不甲斐なさを感じ、
さっちゃさんに報告すると、なんとイヤミダジョー紳士は会議中に
その誤りに気付き 「だまされたー」と言っていたらしい。
水曜日、早速、イヤミダジョー紳士に丁重にお詫びをするワタクシ。
しかし、イヤミダジョー紳士はこう言った。
「こういうときって、僕は他の人と違うんだよ。謝らなくても、『あれはジョークでした』と
言えば、笑ってさらりと流せるタイプ。僕の心は広くて、深いんだよ」
かなりマジで言っていた。
自ら「心が広い」と言う人は、どうなんだろ?
一体、どのくらいで「広い」という範囲に入るのかな。
心の広い・狭いは自分が決めるのではなく、人がそれぞれの価値観で
決めるものずら。
そんなことをグチグチ考える私の心は
イヤミダジョー紳士方式で言えば、極狭かも。
