私の書道の師匠が9月に亡くなった。
16才から24才まで師匠から芸術としての書道を学んだ。
シベリア抑留時代、バラバラになった筆の穂先を何度も自分でくくり直し
書くことをやめなかった師匠は戦後、高校教師となり、たくさんの生徒に
書道のすばらしさを教えてくれた。
その生徒の一人が私なのである。
「こうのとりさん、気脈の貫通が大切ですよ」と筆を持って
真っ白な紙に向かうと、別人のような厳しい顔でウンウンと
唸りながら一字一字に命を吹き込んだ。
師匠には私より三才上の息子がいた。
私が21才の頃、師匠は息子と結婚を前提に付き合わないかと
言い、期間をあけて二度お見合いのようなことをした。
私は師匠を書道家として尊敬していたが、その息子はどうも好きになれなかった。
そんなこんなで師匠の希望に添えなかった私は行きづらくなり、
結婚を機に書道をやめてしまった。そして・・・・
やめてしまったもう一つの理由は自分には才能がないのだと悟ったからだ。
Sホテルの一階には、師匠の「終始一貫」という隷書の大作が飾っている。
出勤するたび、この作品の前を必ず通らなければならない。
「こうのとりさん、自分の思う道を行きなさい」と勝手に解釈をして
毎朝眺めている。
変わることは大切だけど、変わってはいけないこともある。
終始一貫、その言葉は私の心にいつもしっかり芯を強くもつことを
示唆してくれる。