あなたの、そして私の夢が走っています。
杉本清さんと言えば、数多くの名実況を残した競馬実況のレジェンドでありますが、中でも恒例になっていたのが宝塚記念の実況。
文頭のフレーズだけでなく、いつの頃からか杉本清さんの夢(=本命馬)を披露するようにもなりました。
自分がこの名フレーズをテレビで見た機会は少なかったのですが、いくつか心に残ったものを取り上げようと思います。
■1993年 ロンシャンボーイ 14着 (勝ち馬メジロマックイーン)
レース中
「私の夢は遠くフランスへ飛んで、ロンシャン」
といっていましたが、実はロンシャンボーイ、フライングスタートしてしまったんですよね。
フライングした時点で黙っていてもよかったのに、あえて触れたところに勇気があるなぁと感じていました。
次走、2000mの高松宮杯で皐月賞馬ナリタタイシンを抑えて逃げ切り勝ちを収めましたが、果たして杉本さんは馬券を的中していたのでしょうか。
■1994年 アイルトンシンボリ (勝ち馬ビワハヤヒデ)
この年、杉本さんが指名した馬はマチカネタンホイザだったのですが、心に響いたのは別の部分でした。
F1レーサーのアイルトン・セナが事故死した、忘れられない年。
彼の名前を冠したアイルトンシンボリが、この年の宝塚記念に出走しました。
杉本さんなら触れてくれるかなぁ、と淡い期待をしていたところ
「F1ファンの夢のせ、のせてアイルトンセナいやアイルトンシンボリ」
という風に紹介してくれました。
もしかしたらF1ファンが見ているかもしれない、セナのことを想って馬券を買った人もいると考えたのでしょうか。
(実際、自分がそうでした)
期待に応えてくれたうれしさと、セナのことを思い出して心にグッときました。
アイルトンシンボリはこのレースで2着。
負けはしましたが、彼の馬券を握りしめた人たちに、ささやかなお返しをしてくれました。
■1999年 サイレンススズカ (勝ち馬グラスワンダー)
前年の勝ち馬であり、天皇賞秋で非業の死を遂げた、希代の逃げ馬サイレンススズカ。
杉本さんはかみしめるように
「私の夢はサイレンススズカです」
といった時に涙腺が崩壊しそうになりました。
この年、4歳トップのグラスワンダーとスペシャルウィークの2強対決となりましたが、もしサイレンススズカが出てきていたらどうなっていたでしょう。
グラスワンダーの前にいたのか、それとも後ろだったのか。
その結末は、ファンの夢のなかで何通りも再生されていることでしょう。
令和元年の春グランプリ。
杉本さんはどの馬に夢を託すのでしょうか。