養分と羽根モノ(1990年代初頭) | ワイビーのブログ(おもに競馬)

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デジパチを打つ予算がなかったり、デジパチでしこたまやられた時は、未練打ちのように羽根モノへ触手を伸ばしていた。


当時の羽根モノはラウンド抽選はなく、完走すればだいたい1600発くらいの出玉が得られた。

ビッグシューターのようにパンクしやすいものもあったが、自分の通っているホールは大体完走を見込める台が揃っていたので、開放台をメインに狙っていた。


当時の羽根モノは、大当たりを引いても持ち玉遊戯ができる代わりに、一定量出すと打ち止めとなり遊戯終了。出玉を流さなければならなかった。


打ち止めされた台は、一定時間を過ぎると開放され、開放台とわかる札を差すホールもあった。

スロットに置き換えたら、高設定濃厚札みたいなものだ。


もっとも、たまたま展開が良かっただけで実際座ってみたら釘が超渋かったなんてこともザラで、開放台に座ったから必ずしも勝てるものでもなかった。


低予算で遊べる反面、釘読みがデジパチに比べ勝敗を左右するのだが、釘読みとかが全くできてなかった私はろくに釘を調べもせずに乱れ打ったため、たいてい傷口を広げては後悔していた。


25年前、学校そばのホールに設置されていた羽根モノは、

プールドバー(平和)、ダービーキング(西陣)、サーカスⅢ(SANYO)など。


この中で、ダービーキング、サーカスにはレアな体験をさせてもらった。


ダービーキングはVゾーンが馬の役物になっており、役物下中心部のストッパーに玉がとまると、下から玉が突き上げられ、馬の役物の口に入れば大当たり、という仕様だ。


ストッパーに止まれば殆ど確実に馬の口へ入っていたのだが、一度だけ、馬の口に入らなかったことがあった。


突き上げられた玉が、馬の口に入らず、あごの部分に直撃してそのままハズレ穴に吸い込まれていったのである。

大当たり確定と思っていた私は、しばらく彫像のように固まってしまった。


現代のデジパチで例えると疑似4連レインボー柄のリーチを外したようなもの。

店員を呼ぼうかと思ったが、確実に保障してくれるわけがないと思い込み、席を立って台移動した。

奇をてらったシステムゆえ、経年劣化でバネがおかしくなったんだ、そう自分に言い聞かせた。


もう一つのサーカスⅢは「0G連」を経験したことがあった。

この台はラウンド中に皿の役物内に玉を貯蓄して、10カウントでストッパーが外れて玉が流れ落ちてVゾーンに入れば継続する仕様で、最終ラウンドだけ、ストッパーが外れた状態で消化する。


完走し、最終ラウンドで10個拾ったので止めて流そうとしたら、何故かファンファーレが鳴ってラウンドが始まったのだ。


最初はチャッカーに入った音かと思っていて、何とも思っていなかったのだが、羽根がパカパカ開いているのを見てあわてて下皿に玉を入れて打ちだした。


この大当たりも完走。当時の一般的な羽根モノより一度の大当たりで獲得できる出玉が多かったため、ドル箱2箱分の出玉となったのである。


なぜ、終わった直後に再びラウンドが始まったのか、下皿に意識が行っていたのでわからないが、恐らく


最初の大当たり中の最後に拾った玉をセンサーが感知して終了状態になった

チャッカーに玉が入って鳴いた

役物内に残っていた玉がVゾーンに入って大当たりの判定になった


というのが短い時間に起こったためだと思う。


2度目の大当たり終了後、もちろん打ち止め。

定量制でドル箱2つめに入るという稀有な経験だった。


パンクのリスクが常にあったものの、当時の羽根モノは、ラウンド数が決定されているわけでもなく、また拾ったタイミングに関係なくチャンスがあったという点で、今の羽根モノに比べて楽しむことができた。