こんにちは。マイソウルメイトの森田遊です。
今日は前回の続きで占いについてです。わたしが紹介してもらった高木先生。
はっきりいってハンパない先生でした。
新宿の老舗の喫茶店に確か1時頃いったのですが、鑑定は一人1時間………地方から出てきた人も先生に占いをしてもらいたくて、広い喫茶店をほぼ高木先生の順番待ちでいっぱいでした。
緊張気味のわたしに高木先生は、「お待たせしました。じゃあここに名前と生年月日書いてくださいね…………」
なんという紳士、そして言葉は丁寧で優しく、「聞いてますよ。音楽の仕事やってらっしゃる方ですね。わたしはね、本当は芸能関係はすべてお断りしてるんだけど、いろいろあって。だけど今回は特別ですよ」
そう言って「好きな飲み会頼んでくださいね」。
聞けば高木先生はとても若くみえましたが、その時83歳でした。
わたしは、それでまず、ひっくりこけましたが、凄くオ-ラがありました。
先生は、「わたしはね、森田先生、若い頃大平洋戦争に行き、何度も死にかけたんです………南の暑い国だったけど、敵の銃弾が目の前をバカバカ通過していくの。
戦友はみんなその銃弾があたり、わたしはぎりぎり当たらず……………その隊でただ一人だけ生き残ったんです…………」
先生は優しい笑顔で言いました。
そして「だからね、その時わたしは不思議な力、目に見えない力を感じて…………なんでわたしだけ生き延びたか………いろいろ考えて、日本に帰りなぜか、中国の易を勉強して、このみちに入ったんです。
だから森田先生……もう大丈夫ですよ、あなた必ずいい音楽を作り売れるから、安心しなさい………」
わたしは感動やら、不思議やら、しかも私みたいな若造に「先生」と呼んでくださり、なんか固まってしまいました。
それと高木先生が芸能関係の人を見ないという理由は、多分誰でもしっているバンドで、15年くらい前に、一曲だけ超大ヒットしたグループがあります。
ここでは名前は言えませんが、たまにカラオケでわたしも歌います。
そのグループが売れる前にそこのプロダクションの社長が高木先生のところにある人の紹介で来たみたいです。
高木先生は当時有名政治家やらいろいろ相談にきたみたいで。
そのプロダクションの社長に高木先生は念を入れ、お守りを渡し、アドバイスしたら、その名もないグループはあっというまに、売れてしまったそうです。
するとそのプロダクションの社長には、莫大な金が入り、高木先生が「決して売れてお金が入っても、浮かれたり、今と生活を変えてはいけませんよ………」
多分高木先生には見えてたんでしょうね。
その社長が………。
案の定その社長は、お決まりのコ-スで、銀座の高級クラブで、豪遊…………愛人をつくり、一年くらいで数億を使い、一文無しになったらしいです。
その有名バンドも次々と出す曲がパタッと売れなくなり、プロダクションの社長はもう一度高木先生のところにきたらしいです。
「先生…………もう一度売れたいです…………チャンスをそして力をください………」
高木先生は、プロダクションの社長に苦言を言い「だから言ったではないですか………一曲売れたからと言って自惚れてはいけません。謙虚になりなさい………」
プロダクションの社長は、またしても高木先生から念を貰い、お守りを頂いたそうですが…………
わたしもしっている曲ですが、またまた大ヒットというわけではなかったんですが、ある程度売れて、そのバンドは持ち直しました。
しかし………しかしですよ、その社長はまたもや、同じあやまちをおかしたそうです。それで、高木先生は芸能関係の人は、一切信用しなくなったそうです。
ちなみに、ちょっと言うのぎりぎりやばいですが、つい最近、そのバンドのヴォーカルの人は、薬で逮捕されてました。
ちょっと話しは長くそれましたが、高木先生は僕に言いました。
「森田先生…………とにかくわたしがついてるから大丈夫だから……去って行った奥さんなんか、ほっときなさい…………それより森田先生が何よりも大切にしてるまいこちゃんを一番に生きていきなさいね。
この子は凄い星のしたに生まれ、必ず先生の力に将来なりますよ………」。
わたしは最初に先生に何が聞きたいですか?最初に言われた時に自分の音楽人生と当時小学六年の娘の事を聞きました。
娘の写真と生年月日を伝えて…………。
「今度まいこちゃんを連れて来なさい………」そう高木先生はおっしゃってくださり、数ヶ月後、二人で同じところに行きました。
高木先生は「森田先生………まいこちゃんは何よりの宝ですよ。それだけは忘れないでくださいね。そしたら、必ず森田先生は成功しますよ………」。
わたしは娘の事をよく言ってくださり凄く嬉しい気持ちでした。
そして、高木先生は、「森田先生、ひとつだけわたしと約束してくださいね。いいですか…くれぐれも女の人には慎重に………気をつけてくださいね………」
わたしの顔を見ていいました。
しかし、これが当たりました。
以前もblogの「今まで生きてきて一番幸せだった事」でもお伝えしてるように、それから娘は、奇跡的に第一志望の中学に受かりました。が…………わたしも恥ずかしい話しですが、まいこが中学二年生の時、当時23歳の女性と大恋愛をしてしまいました。
この話しはまた懺悔の気持ちでお話させていただきますが………その女性は、熊本県のある島の出身で、母と目の見えないおばあちゃんに育てられ、高校を卒業して、東京に出てきました。
彼女は生まれた時からお父さんの存在を一切、お母さんに教えてもらえず、父親という存在、まったく何もしらないまま生きてきました。
わたしは彼女を自分の家に連れていき、娘にも両親にも何回も逢わせ、みんなで幸せになろうと思いました。
娘も彼女に凄く慣れ、「KちゃんKちゃん」と言って凄くなついていました……………が…………彼女は表面では楽しくしてくれましたが、これがまったくのわたしの間違い、誤算でした。
「ねえ……わたしとまいこちゃんどっちが好き
たまにまいこちゃんの部屋に行って二人きりになってるけどまいこちゃんとキスしてるの?…………」
彼女に言われた時、青天のへきれき………えっ?何?言葉を失いました。そう言われてみれば、彼女は父親の存在すら、全くわからないのですから、彼女にしてみれば本気でわたしに聞いてるのです。
ここからしばらくの間、わたしの両親、特に娘といろいろあり、娘には寂しい思いをさせてしまいました…………
今でも寂しい気持ちにした娘、けなげだったまいこを思うと………泣きたくなります。
高木先生がおっしゃってた通り、入ってはいけない世界に行ってしまいました。
この話しもまた後日。
このお話には、最後、本当にひっくりこけた実話がありました。
多分、やらせなしの、テレビカメラ入ったら、もの凄い視聴率とれると思います。
これもまた後日………。
その優しい、尊敬する大好きな高木先生もその時から五年後、亡くなりまし………。
高木先生のあとを継いだ一人娘様からご連絡いただき……………まいこが高校生の時、神奈川県の相模大野の式場に二人でお通夜に行きました。
わたしはまいこと二人で、高木先生に心からお礼を伝えました。
あの高木先生がいたから、今のわたしと、まいこがいます。
高木先生………まいこを本当に守ってくださりありがとうございました。
ちょっと長すぎましたが、文章…………
本日もありがとうございました。