みなさんこんにちわ。


マイソウルメイトの森田遊です。


昨日は生徒ちゃんの歌のレコーディングで
ちょっと疲れました。


でも無事終わり、行きつけの焼き鳥屋「鳥鈴」に
ミキサーの人と乾杯しました。


そして湘南新宿ライン最終電車に
ぎりぎりで間に合いました。


今日は僕がいままで生きてきて、
1番嬉しかったお話させていただきます。


僕はいろいろな嬉しいことのとらえ方って
あると思います。


仕事関係の出世、
愛する彼女が出来た時、
結婚したとき、
子供が生まれた時、
全国夏の甲子園で県代表で選ばれた時、
(こんな人めったにいないか笑)


などなど人それぞれですが、


僕にとっての嬉しかった出来事は
一年前、娘が志望してた
大学の合格発表を一緒に見に行き、


合格の番号見て番号があった瞬間。
娘の本当に苦しそうなホッとした
何とも言えない顔を見た瞬間でした。


ほんの10秒。あの娘の本当に苦しそうな、
苦しくて最後まで、追い詰められて追い詰められて、
今まで見た事のない顔を見た時、
本当にわたくしは今まで生きてきて、
1番幸せな瞬間でした。


思いおこせば、
僕の家のすぐそばに、
ご丁寧にも僕が出た
平塚市立花水小学校、
平塚市立浜岳中学校があるにも
関わらず、娘のママが
私立の中学受験を目指し、


当時僕は仕事にかこつけて、
あまり家に帰れなかったので、


小学校の時は娘は進学校の私立中学を目指し、
かなり勉強していました。


それが前にもお伝えしましたが、
娘が小学校六年生の七夕の日にママが出て行き、
中学受験の事などなにもわからない私は
パニックしてしまいました。


通っていた有名塾の先生にも事情を説明して
相談に乗ってもらい、受験する事にしました。


娘と娘のママが目指してた中学と違うところを、
ぎりぎりで変更して、


「まいちゃんパパが通った
 ○○学園大学の附属中学にしようよ」と。


はっきり言って我が家平塚からは、
超遠い(二時間弱)ですが、
高校へはエスカレーターで行けるし、
何より僕の出身大学の隣に敷地があるし、


次の瞬間娘が


「パパ。今○○学園中学はすごくレベル高くなって、
 東大にも入る人いるんだよ…………無理だよ」


ああそうなんだ。
しかし、小学校六年生の二月。


第一志望で○○学園中学、
第二志望でプチ滑り止め中学
を受験することになりました。


娘はかなり頑張ったらしく
塾の先生も「大丈夫でしょう」と
言って下さりましたが。


○○学園中学の娘の受験日にはなぜか、
親も一緒に行かなければいけませんでした。


久しぶりにみた○○学園大学。
恐ろしいくらい近代化してました。


そしてそれより近代化したお城のような校舎が
○○学園中学でした。


娘が試験を受けてる時、
親は大きなホ-ルで学校説明会です。


いやはや皆様親御さんたちの目の血走ってる事。
いやぁ………疲れました。


試験が終わる頃、その説明会も終わり、
僕は渋谷のスクールに戻り、娘は平塚のお家へ。


帰り道で、


「まいちゃん出来た?試験」


「うん まあまあ」


大丈夫だろう。受かるだろ。


内心思ながらも、数日後に早朝二人で
川崎の溝の口までドキドキの合格発表。


なんか受かって嬉し泣きしてる親子で
なんか異様な風景でした。


ない…ない……


娘の番号がない……………


参りました。僕は


「まいちゃん次だ。」


親切にも○○学園中学は落ちた人のために
第二次、第三次まであるのです。


あと二回受けられるんだから。
そう言って娘をはげますと、


「パパ……悪いけど二次募集や三次募集となるにつれ、
 もっと頭いいほかの中学受けた人が○○学園中学受けるから自信ない」


泣き出しました。がやるしかありません。


日にちを改めて、第二募集でまたまた一緒に学校に行き、
試験と説明会。前回とは違い親御さんたちの顔は、
皆さん疲れきってました。


そして後日、二人で合格発表を見に行き、


ない。また娘の番号がない……………


なんて励ましたか僕は覚えてません。


その日から数日後、
滑り止めであるはずの中学の合格発表。


うちの母親と娘が見に行ったのですが、
またまた番号がなかったらしく、
娘は車のなかで泣きじゃくったそうです。


私もショックで、二人共完全に追い詰められてしまいました。
そして○○学園中学の第三次募集の試験、
またまたまた二人で行き、
またまたまた試験中は別のホ-ルで学校説明会。


この頃の親御さんたちの顔、
もう皆様本当に疲れきってました。


だってそこにいる親御さんたちの子供は
まだどこも受かってない人達の集まりです。


いやぁ………なんという受験戦争。


数日後、泣いても笑ってもラストの受験発表。


何回も何回も二人で○○学園中学に通い、
終わったら渋谷のスクールに僕はダッシュ。


心身共に疲れましたが……


ない…………またまたまたない………


娘の受験番号が。


「まいちゃんよく頑張ったよ
 パパがいった家の近くの中学校いこうよ。
 近くていいじゃん」


それしか言えませんでした。
さすがにその日は娘が心配で仕事を休み
平塚に帰りました。


しかししかし、奇跡は起こるのです。


数日後、僕が渋谷のスクールで仕事してる夜9時。
一本の電話が。


「森田さんのお父様ですか?」


「はい、そうですが」


「おめでとうございます!
 ○○学園中学の何々と申しますが、
 お嬢様、補欠合格とさせていただきます。
 欠員がほんの数名でましたので」


マジかよ…………


びっくりやら嬉しいやら、
すぐに娘に電話をしたら、


「パパさあ、いくらなんでもそういう冗談言うと
 私、本当に切れるからね」


「だから本当なんだよ……」


このあとの娘の喜びようは忘れられません。
奇跡は起きました。


中学校から高校まで片道二時間近く、
娘は○○学園中学高校に頑張って通いました。


その間色々ありました。
僕は二回も死にかけるし・・・・


大学受験、恥ずかしながら
僕はあまりお金がないので、


私立大学大変かもな。
そう思っていたのですが、


一体この娘はどこの大学に行きたいんだろう?


まぁ知らず知らず負けん気の強い子供になっていました。
中学校の頃、歌手になりたいと
よくわたしの前で鬼束ちひろを歌い、


「パパ頼むから聞いてよ………」


うん。しかしながら渋谷のスクールで
たくさん生徒ちゃん達の歌聞いたあと、
またまた深夜家に帰ったら今度は娘の鬼束ちひろの歌。


知らず知らずに寝てしまい、


「もういいよパパなんて」


それ以来、娘は勉強に燃え始めました。
しかし若さゆえの恐ろしさ。


高校二年の段階で、


「パパ、あたし東大行くから………」


僕は理解出来ず、
思わず「どこの?」と。


「東京大学いってみんなを見返す」


う~ん。夢を追う事はいいけど。
まあそのうち気が変わるだろ。


「頑張ってまいちゃん」


しかしいつまでたっても第一志望東大なのです。


僕はっきりいって音楽大学出身なので、
まったく大学の事が分からず。


しかし娘は塾にも行かず、
夏休みは毎日10時間勉強してたみたいで。


いやぁもう勘弁してよ。受験戦争。
こっちの身体がもたない・・・・


だってもう娘の落ちた
悲しい顔見るのは辛いですから。


「まいちゃん大学はどこでもいいじゃん」


この僕の一言にいつもブチ切れてました。


結局さすがに東大はあきらめ、
お金がもったいないと娘が言出だしました。


滑り止めも受けずに受けたのが、


早稲田大学
慶応大学
国立の某有名大学の医学部


恐ろしい。これは自慢でもなんでもありません。
恐ろしい。俺を殺す気か。


結果は慶応、早稲田は
補欠でしたが結局二つとも補欠のままで駄目でした。


あとは受験発表は第一志望の
某国立大学の医学部だけ。


本当に生きた心地がしません。


僕は間違いなく浪人覚悟で
合格発表の時、僕の父と三人で
御茶ノ水のその大学へ、合格発表見に行きました。


○○学園中学の時も一回も
娘の合格発表で番号みたことなかったので、
落ちた時の慰める言葉ばかり考えてました。


その某国立大学の合格発表の場所は
すごく小さな場所で地味でした。


またまた合格した人達があちこちで
胴上げとかされていて、


「ああもう地獄だ」


そう思いながら、
合格番号を娘とひっそり探しました。


ない…………番号がまたまたない。


次の瞬間娘から信じられないセリフが。


「あった……」


えっ?どういう事?実は僕は馬鹿だから
隣のちがう学部で娘の番号探してたみたいで。


本当にありました!!!
僕はあまりにもびっくりして、
ホッとして声も涙も出ず、


娘に「まいちゃんよく頑張った……」


娘を強く抱きしめました。
それしかできなくて………


「あった……」


そう言った時の娘の本当にあの苦しそうな顔。
あの顔を僕は一生忘れません。


MySoulMateのブログ-mai3


MySoulMateのブログ-mai5

そこの大学は現役の学生さん達が、
待機してくれてて、受かった人に胴上げしたり、
おめでとうございますと
大きな声で叫んでくれるんですが、


僕ら親子はあまりにも静かに二人で
半ベソ状態なので、


落ちたと思い誰も来てくれませんでした。


僕は人間って本当に追い詰められて
追い詰められて夢がかなった時、


本当に声も出ず、笑う事さえも忘れてしまう。


本当にその時、初めて思いました。


そんな娘も今は大学二年です。
恥ずかしながらこの日が私にとって人生で1番幸せな日でした。


追伸………娘が小学校四年の時、
渋谷で我マイソウルメイトの中村篤弘君のレコーディングのあと
中村の相模原の家に娘と夜中車で送ったのが昨日のようです。


本当に長々とありがとうございました。



by You Morita