自分という存在とは
さて、いつもの小難しそうなテーマをたたきあげてみたわけですが。
自分の頭は、そう思った通りに働いてはくれませんね。
というわけで、ま、思いつくままに語りますが、聞き流していただければ。
「自分って、なんなんだろう?」
そんなこと考えたことはないですか?
僕は、しょっちゅうあります。それが、病んでると言えば病んでるし、普通といえば普通だと思います。
自分って、いろんな面がありますよね。
人間として、男として、大人として、
社会人として、上司として、部下として、
友達として、恋人として、親として、などなど
自分の役割が多くなればなるほど、自分というものの存在は薄れていくように思います。
しかし、常に元気な方は、自分というものをよくとらえていて、一つの自分像を持っている方が多いように思うんです。
あなたは、自分のことを本当にわかっていますか?
一つ言えるのは、たくさんの役割があろうとも、
結局は、 「自分は自分」 ということなんです。
どれも本当の自分だけど、どれも自分の全てではない。
僕は、僕です。
男だけど、上司だけど、部下だけど、社会人だけど、一つでは僕を説明できません。
「○○だから」「○○のくせに」という言葉は、とても人を傷つけます。
それは、自分という人を、一つのくくりにはめ込めるだけでなく、それを全て否定してしまうからです。
例えば「男のくせに、仕事ができない」とかいわれると、
男っていう表現で差別された上に、男はすべて仕事ができなければならないという制限を勝手につけられます。
さらに出来るはずのことができないので、中でも最低ランクとして扱われたように感じます。
それは、とても人の奥底を傷つけてしまいます。
仕事で失敗したのならば、「君は、なぜその仕事を間違えた」と聞いてくれれば、説明がつきます。
そうすれば、ここをこうしろああしろ、と話は進みます。
このように、気持ちを否定してはいけません。
否定すべきなのは、行動のみです。
好きや嫌いといった気持ちを否定されても、どうすることもできません。
嫌いだとはいえ、そこまで言ってはいけない、という行動を否定しましょう。
皆さんも、自分の存在をまず認めてください。
そして、自分があらゆる気持ちを持つことを認めてください。
最後に、間違った行動を否定してください。
そうすれば、行動からすべてが変わっていきます。
僕の、独り言でした。
今の仕事
僕の仕事は、作業療法士です。
簡単にいえば、リハビリの仕事。
だから、僕の前には困っている人がたくさんいます。
その人たちをみて、僕にできることをする。
それは、普通の反応かと思うんです。
僕は仕事だから、それをする。 確かに、それもあります。
でも、困っている人を目の前にしたら、それだけではできない。
仕事以前に、僕は、一人の人間だ。
一人の人間として、僕は目の前の人に手を差し伸べたい。そういう人間でありたい。
そう思うのです。
仕事柄、医療系の話が多くなるかもしれません。
でも、一人の人間として、誰にでもわかるよう書いていきたいと思います。
こんな僕ですが、よろしくです。