ジョーが志願しました秘密任務は「アフロディテ」と名付けられましたV兵器基地撃滅作戦でありました。
 ドイツが戦勢逆転の切札としましてロケット兵器の開発を進めている事は、第2次世界大戦初期から連合国の諜報網によって捉えられていましたが、1943年秋の頃から、英仏海峡に望むカレー付近に奇怪なコンクリート・ブンカーが続々と建設されているのが発見され、緊張は高まりました。
 これこそV兵器の発射基地に違いありませんと判断しました英空軍は、その年の冬から翌年春にかけ、総力を上げました爆撃作戦に移ります。
 ですが、半年で154機の爆撃機、771人の搭乗員を失う犠牲を払っても、ブンカーは以前健在に見えました。半地下式の厚いコンクリートは、大型爆弾の直撃でもしない限り完全破壊は困難と思われました。
 怖れていましたV−1号の報復は、ノルマンディ上陸1週間後に始まりました。毎日、毎夜の様に100発以上の無人機は、不快な轟音を残しつつ英仏海峡を越え、首都ロンドンに落下してきました。
 発射基地の絶滅は連合軍にとって至上、緊急の課題となり、チャーチル英首相からルーズベルト大統領に救援要請の電報が飛びます。
 当時米空軍と海軍では、TVを利用しまして母機からの遠隔操縦で爆弾を積んだ無人機を正確に目標へ誘導、命中させる技術が研究されていました。それを活用しまして無人機の攻撃には無人機で反撃すれば良いー結論は直ぐに出ました。
 特に海軍は、戦前から艦隊の対空射撃標的用に、運動性の秀れました無人機を開発し、その技術水準は空軍より進んでいました。
 7月1日ミシガン州トラバースシティにありました無人機実験部隊に、海軍長官から緊急出動命令が届きました。隊長のスミス中佐は、大急ぎで派遣隊を編成し、家族にも行先は告げないよう厳命します。
 27人の派遣隊の中心となりましたのは、総務担当でパイロットでもありましたウィルフォード・ウイリーと電子技術者のイール・オルセンの2人で、水兵から身を起こし、中尉迄昇進しました同期生でした。オルセンによると、ウイリーは酸いも甘いも噛み分けました苦労人で、部隊の隅々迄掌握し、上下の信頼は絶対でしたといいます。出発当時、妻は3人目の子を生む直前で、それが35歳のウイリーには気がかりでしたようです。
 一行はフィラデルフィア工廠で機材を受領し、グリーンランド経由で、ダンクスウエル基地に到着しますと、まず、無人機を操縦する優秀なパイロットを探しました。当時の技術では、無人機の離陸だけはパイロットが必要で、適当な高度で水平飛行に移ると、落下傘で脱出し、後は母機のFM電波による誘導で目標に突進する事になっていました。無人機は不要物を全て撤去し積めるだけの爆薬を積み込むのですが、アフロディテ作戦では、TNT火薬の2倍の破壊力を持つトルペックス火薬を12トン積載する予定でした。
 爆薬を満載しましたPB4Yが離陸時に事故を起こせば、搭乗員はもとより、基地全部が吹っ飛んでしまいかねない危険がありました。
 ジョーが志願しましたのは、この爆薬搭載機のパイロットでしたのであります。