1943年9月3日
 イタリア降伏しました。翌月、連合国側に付きます。この降伏は9月8日迄公表されませんでした。1か月近くイタリア北部に居座っていましたドイツ軍と、イタリア軍が戦う為の準備期間でした。それでもドイツ軍はローマに進撃し、9月10日に同市を占拠しました。イタリア、バルカン、フランスにいました約43個師団のイタリア軍は、ドイツ軍に武装解除されますか、蹴散らされ、他の数個師団は逃げまして連合軍に合流しました。これらのイタリア各師団の穴埋めは、ロシア戦線から間引きましたドイツ軍によって代行され、ソ連軍の負担が軽くなりました。

1943年9月9日
 連合軍、イタリアのサレルノに上陸しました。ドイツ軍の反撃は素早く、連合軍は危うく海に追い落とされるところでした。勢力を盛り返しました連合軍は、イタリアの山岳地帯を通り、激しい戦闘を繰り返しながら北進しました。この戦域での戦いは終戦迄止むことなく続き、北部イタリアに残っていましたドイツ軍は一番最後に降伏しました。

1943年11月20日
 太平洋戦域では、中部太平洋で進撃を続けていましたアメリカ海兵隊が、重武装されましたタラワ島に強襲上陸しました。血みどろな戦いの後、同島を占領しました。ソロモン諸島とニューギニアでは、尚戦闘が続いていました。日本軍は増援部隊を送り、連合軍は1つの島に上陸しては島の尾根へ、そして次の島へと、1942年初期以来のパターンを繰り返しました。

1943年12月5日
 連合軍はP47、P51戦闘機に切り離し可能な燃料補給タンクを装備し始め、ドイツ領内の奥深くに侵入する重爆撃機編隊の護衛に当たらせました。この戦略転換により、連合軍側の爆撃機の損失が大幅に減り、反面、ドイツ側の飛行機の損失が目立って増えました。