1942年10月23日
 「エル・アラメインの戦い」が始まりました。イギリス軍の反攻でドイツ軍は一気にチェニジア迄押し返され、11月5日には枢軸軍12個師団の敗残兵による西方への総退却となりました。

1942年11月8日
 連合軍(主としてアメリカ軍)がアルジェリアとモロッコに上陸、ヴィシー政権軍を1週間で打ち破ります。

1942年11月19日
 ソ連軍の冬季攻勢が再び始まり、スターリングラードの26万人のドイツ軍と他の枢軸軍を包囲しました。モスクワとレニングラード戦線でも、これより規模の小さな反攻が始まりました。ドイツの支援軍がスターリングラードの40マイル以内に迫りました者の、押し返されました。この年の暮れには、ソ連軍の一部はスターリングラードの西方100マイルに迄進出しました。
(註)1942年という年は、連合国側を勇気付けました。枢軸側はソ連でも、北アフリカでも、太平洋でも防戦に廻りました。独日両軍共、最早無敵ではなく、連合軍の勝利は時間の問題に見えてきました。

1943年1月18日
 ソ連軍がレニングラードを包囲していましたドイツ軍戦線を突破、重圧下にありました市内の守備隊に支援物資を補給しました。ドイツ軍の包囲下で、約90万人の市民が餓死に直面していました。

1943年1月31日
 スターリングラードのドイツ軍が降伏しました。しかし小さな抵抗は2月2日迄続きました。ソ連軍の冬季攻勢は各地の前線で成功し、スターリングラード戦線では西方400マイル迄ソ連軍が進出しました。