1941年12月7日
 日本軍、真珠湾を襲撃しました。同時に太平洋における米・英・蘭の各拠点を攻撃しました。
(註)1941年末迄連合国の胸は暗かった。ソ連軍の冬季反攻を除いて(ドイツ軍を破るとは誰も期待していませんでした)、連合軍は全ての戦域で退却を重ねました。日本軍はマレーシア、フィリピン、インドネシアを相次いで占領しつつありました。イギリス軍は北アフリカで苦戦し、ドイツの潜水艦に沈められます連合国の輸送船は大西洋で数を増やしていきました。連合軍にとっては実に嫌な時期でありました。

1942年1月16日
 日本軍、タイ国からビルマへ侵攻しました。タイは外交的に中立でしたが、この時期、日本軍に協力するのが賢明ですと判断しました。ビルマでの英日軍の戦闘は1945年迄続きましたが、1942年5月の時点でイギリス軍はインドへ後退させられました。

1942年2月15日
 シンガポールと英領マラヤが日本軍の手に落ちました。シンガポールは東南アジアでのイギリスの最大拠点で、難攻不落と考えられていました。

1942年3月10日
 インドネシアのオランダ軍が日本軍に降伏しました。これにより日本は、連合国から禁輸措置を科されていました石油に手が届きました。日本にとって不幸でしたのは、退却する連合軍が石油施設の一部を破壊していった為、戦前程の石油生産量を確保できなかった事です。もう1つ悪い事に、石油施設の再建に向かった技術者達を乗せました船が、アメリカの潜水艦に沈められました事でした。

1942年4月
 日本の空母群がインド洋を暴れ回り、遠くセイロン迄攻撃を加えました。

1942年5月4日〜8日
 珊瑚海海戦。歴史上初めての空母同士の戦いとなりましたが、引き分けになりました。