1941年6月22日
 ドイツ軍、ソ連領に侵攻。こうして史上最大の戦闘が始まり、300万人のドイツ軍部隊が400万人のソ連兵に襲いかかりました。1週間以内にハンガリーとフィンランドもソ連に宣戦を布告しました。

1941年7月2日
 日本、百万人を軍事動員。満洲国境沿いの関東軍を40万人から70万人に増強、ソ連軍に備えました。

1941年7月21日
 日本軍、仏領インドシナの主要軍事基地の占拠を開始。これにより日本軍の配備は、英領マラヤと米領フィリピンに近接しました。

1941年7月22日
 ソ連領内での1か月の戦闘の後、ドイツ軍の進撃が鈍ります。ドイツ軍はソ連領内に400マイルから500マイル侵入後、次の1か月間を部隊の休息や再編制、装備の充実等に当て、再進撃体制ヲ立て直す。するうち再命令が下り、モスクワ攻撃軍をウクライナ、クリミア制圧の為南へ振り向けます。

1941年8月24日
 イランの親ナチ政権を倒す為、英ソ連合軍が同国に侵攻しました。

1941年9月12日
 ソ連領内の独ソ戦線に早くも雪が舞い初め、140年間で最も過酷な冬の到来の前触れとなります。ソ連の将兵は、又も「冬将軍」に大いに助けられました。しかし、ドイツ軍はこの1週間にウクライナの征服を完了、60万人のソ連兵を殺害、或いは捕虜としました。と同時に、レニングラードの包囲をも完了させました。