1941年2月9日
 リビアでのイタリア軍との戦闘でイギリス軍は次々に勝利を手にしましたが、この戦域での進撃を一旦停止、大軍をギリシャでの攻防に振り向けます。

1941年3月27日
 ユーゴスラビアのセルビア将校団がクーデターを起こし、ドイツ側についていました同国政府を中立にします。ドイツは同国への侵略を決意します。

1941年3月末
独アフリカ派遣軍がリビアのイギリス軍に対し攻撃を開始し、イギリス軍は退却します。

1941年4月3日
 イラクのアラブ親ナチ将校団が政権を奪取、イギリス婦人と子供達が人質に取られます。ドイツは新政権を支援する為、戦闘機を送りました。イラクに進入しましたイギリス軍は、5月末迄に支配を確立。反乱を起こしましたアラブ民衆は、同国に住むユダヤ人600人を殺害しました。多数のイラク軍将校はイランに逃れ、少数の王族はドイツに庇護を求めました。

1941年4月6日
 ドイツ、イタリア、ブルガリアの同盟軍33個師団と1200機の戦闘機がユーゴスラビアに侵攻、1週間で同国を征服しました。

1941年4月9日
 ドイツ軍がギリシャに侵攻、11日間でこれを征服しました。イギリス軍は1941年4月19日迄に、同国から完全撤退しました。

1941年5月
 ドイツの戦艦「ビスマルク」が、連合軍の輸送船舶を攻撃するため大西洋に出撃しましたが、英軍によって駆り立てられ沈没しました。

1941年5月20日
 ドイツの落下傘部隊がクレタ島に降下。イギリス軍守備隊は10日間と持ちこたえられなかった。

1941年6月8日
 英国・自由フランス連合軍がヴィシー政権支配下のシリアに進撃、5週間に渡る激しい戦闘の後、ヴィシー軍が降伏しました。