1938年3月12日
ドイツ軍、オーストリアに侵攻、同国をドイツ領土に併合します。
1938年10月1日
ミュンヘン条約成立(前月、ドイツ軍がチェコスロバキアに侵攻、ドイツ人居住地域を自国に併合しましたのを、イギリスとフランスが認めめます)。
1939年3月28日
スペイン内戦が終息。死者50万人に及びました。戦闘に参加しました者の大部分はスペイン人でしたが、イタリア軍7万5千人、ドイツ軍1万9千人がフランコ将軍側を支援する一方、軍事顧問の肩書によりますロシア人数千人と、外国人の自発的志願者約6万人が人民戦線(共和国)政府側を援けました。後者の殆どはコミンテルンの誘いに応じましたものでした。
1939年4月7日
イタリア軍、アルバニアに侵攻。
1939年5月〜8月
ソ連軍と日本軍が満蒙国境で衝突、度重なる戦闘の末、ソ連軍が勝ちます。
1939年8月23日
ドイツとソ連が不可侵条約を締結。ドイツの支配拡充に対する最大の障壁であったソ連が、この条約により中立化されました。条約の一部は極秘となっていましたが、そこにはドイツ・ソ連両国が東欧を分割占拠するに際しまして、互いに干渉しないという項目が含まれていました。
1939年9月1日
ドイツ軍、ポーランドに侵攻、2、3週間で全土を席捲。その3日後以内にイギリスとフランスが、相次いでドイツに対し宣戦を布告しました。すかさずドイツ軍は連合軍の船舶に対し、潜水艦攻撃を開始。ドイツの潜水艦攻撃は1943年迄、イギリスへの重大な脅威となりました。
1939年9月17日
ソ連軍、ポーランドに侵攻。ドイツとの不可侵条約により、侵略しました領土を確保しました。