第2次世界大戦終了以来、フランスの爆発物・兵器処理班は606名の死者を出しています。彼らが除去しました砲弾は1600万発、航空投下用爆弾が49万発、地雷と機雷が60万発、その他手榴弾、毒ガス弾等、第2次世界大戦ばかりでなく、1870〜1871年の普仏戦争と第1次世界大戦当時の弾薬もありました。
 アメリカにも影響が及んでいます。第2次世界大戦中のドイツのUボートの作戦行動の結果沈められました最後の船は、70トンのトロール漁船シンネコックⅠ号です。同号は不注意にもニューヨーク州ロングアイランドのサザンプトン沖合で、1200ポンドの魚雷を網で巻き上げてしまいました。1991年3月14日にアメリカ海軍の砲弾専門家によって結局は船ごと爆破される運命となりました。
 驚くべきことですが、こうしました古い弾薬の出所を突き止め、処理する国際的な協力体制がありません。弾薬による負傷事件の情報も組織的に収集されていません。1年間の情報がまるまる入手出来るのは1984年分だけしかありませんが、この年には、3つの事故がありました。その時、第2次世界大戦中に捨て去られました爆発物や毒ガスによって8人(全て子供)が死に、30人以上が負傷しています。