フランス フランスは1940年にドイツに降伏しましたが、その当初からレジスタンス運動は活発でした。フランス南部は1942年迄ドイツの占領を免れました。レジスタンスには幾つかの組織がありました。ソ連が1941年6月にドイツ軍に侵略されてから、やっと活発になりました共産党系の組織もその1つです(ドイツ軍のソ連侵略以前は、フランス共産党はナチの占領軍とヴィシー政権に協力しました)。
 1944年迄にレジスタンス運動の組織も増え、協力体制も良くなりました。米英両国が武器を供給し、ド・ゴール将軍が運動の采配をふるいました。ドイツ軍は懸命にパルチザン討伐を行いました。レジスタンスのフランス内でのスパイ活動に手を焼き、撃ち落としました英軍機のパイロットがレジスタンスの助けでイギリスに送り返されていましたからです。1944年6月の連合軍のノルマンディー上陸後は、破壊やスパイ活動、暗殺よりは、連合軍に協力して軍事作戦を行い、年末迄にドイツ軍をフランスから追い出しました。

ドイツ ドイツにおけるナチへの抵抗運動は、ナチが権力を握った1933年に始まりました。ヒトラー暗殺は何度も企てられ、最も有名なのは1944年7月20日の爆弾事件で、ヒトラーは奇跡的に難を逃れました。1939年の第2次世界大戦勃発前に多くのドイツ陸軍上級将校は、ナチを排除しようと必死になりました。ですが英仏は手を貸すのに2の足を踏み、戦争が始まった後のドイツ陸軍はレジスタンス活動と無縁になりました。レジスタンス運動そのものは広がりを見せましたが、大規模に組織される事はありませんでした。ナチの秘密警察が絶えず、レジスタンスの活動家や活動の容疑が持たれた者を逮捕していましたからです。レジスタンスは連合軍にスパイ活動で貢献しました。戦争終結後、レジスタンスの生き残り達の多くがドイツ政府の再建に参画しました。