もう1つの神風の長所は、この突撃機は通常の攻撃機に比べて遥かに航続距離が長い事であります。それは結局、基地に帰る事を考えなかった為です。だから神風攻撃は通常の空襲の為の飛来距離を超えていました。沖縄の場合に、それが明白に現れました。沖縄戦の際に(1945年4月〜6月)、日本は1465機の神風攻撃を行い、21隻を沈めました。217隻を破壊し、その内43隻は完全に使いものにならず、23隻は修復に少なくとも1か月かかりました。通常の空襲で受けました死傷者も含めて、アメリカ海軍の死者は約4900人(海軍の死者総数の7%以上に相当)、負傷者は4800人で、アメリカ海軍史上最大の流血を記録しています。
 日本が出撃させました神風機は陸海合計で、約3900機に上りました。護衛機は計算に入っていません。更に言えば神風として飛び立ったのはそれを上回る数千機ですが、突撃に値する目標を発見出来ずに基地に引き返しています。その多くは後に突撃を成功させました。神風特攻機によって、アメリカと連合国の艦船は多大な損害を受けました。沈没は83隻、損傷は約350隻を数えます。
 神風は第2次世界大戦中に艦隊の安全を最も脅かしました。また、アメリカ海軍の参謀達が戦前の計画で予知しなかった唯一の重大な展開でした、と言うのも注意を引きます。実際に神風は悪夢の体験でしたが、更に悪化する可能性もありました。日本はアメリカの対空防衛がまだ良くなかったもっと早い時期に、神風戦術に出る事も出来ました。或いはフィリピンでの戦闘時の様な細切れの攻撃ではなく、大量攻撃をする事も出来たでしょう。戦争がもっと続けば、事態は更に悪化していました事は確かです。アメリカ軍の日本本土侵攻を予期して、日本はざっと9000機を準備していましたが、その3分の1には神風攻撃用のマークが付けられていました。