真珠湾以前は、日米海軍が軍事衝突するなら何よりも水上艦同士の海戦と言う形を取るでしょう、すると言う予想でした。ですが、真珠湾と1942年前半の空母の戦闘は、この予想を裏切りました。空母は海戦の1戦闘員ではなく、海を支配する者になりました。しかし、その一方、珊瑚海、ミッドウェー、ソロモン諸島東部及びサンタクルーズ諸島の戦闘で日本の空母艦隊が枯渇しました後、1942年〜1943年の海軍の戦闘は殆どが水上艦同士による海戦で、時たま航空機が姿を見せました。
 実際に太平洋上では大戦中に、戦艦、巡洋艦、駆逐艦の参戦しました大規模海戦が1ダース以上、小規模なのは無数に起きました。これら大小の海戦は大半がガダルカナル島の沖合で起き、1942年8月から1943年2月迄のほぼ半年間で大海戦5回、小海戦約30回を数えます。1942年初めのオランダ領東インド(インドネシア)と1944年のフィリピン周辺での多数の海戦を除けば、残りはガダルカナル島北東のソロモン諸島近辺で戦われました。
 戦前、日本とアメリカはそれぞれ異なった海戦理論を発達させてきました。日本は、アメリカと戦う場合の数の劣勢を意識しまして、夜間戦闘の訓練をし、駆逐艦と巡洋艦の魚雷発射を重視し、大型艦を陣形の先頭に配備しまして複数の縦陣とし、小艦隊それぞれに戦術上の独自性を発揮させようとしました。これに対してアメリカは、むしろ単列陣形に固執しがちで、駆逐艦を陣形の先頭と後尾に、戦艦と巡洋艦を中央に置いて、全艦隊を1つの指令で動かすようとしました。
 両国海軍が衝突しました時、日本側が優勢である事は直ぐ明白になりました。というのは、実際の海戦はアメリカ海軍の想定になかったものとなったからです。陸上基地から飛び立つ航空機を考慮しまして、海戦は殆ど夜間に行われました。昼間の海戦なら制空権を支配しました側が文句なく有利でした為であります。夜間の海戦では当初、日本側が優勢でした。平和時に夜間の猛訓練をしていましたからであります。