機雷が初めて近代戦争に登場しましたのは日露戦争(1904年〜1905年)の時でした。日本はこの戦争で機雷にこっ酷く痛み付けられ、また第2次世界大戦でもう1度やられています。日本を完全に封鎖し降伏に至らしめたのは、何にも増して機雷の働きでした。
 機雷は「勇者の武器」と見なされました試しがなく、多くの海軍司令官は一般に機雷の使用を潔しとしませんでした。アメリカ海軍はこの機雷嫌悪を克服し、1945年になると日本の海上輸送を完全に封鎖する為、潜水艦と航空機で機雷を敷設していきました。効果は絶大でした。
 その理由は、日本の船舶輸送の多くが小さな船で行われていたためでした。日本の食料は大抵、8トン以下の小型船で運ばれていました。こうした船なら、夜は海岸沿いに簡単に動けるし、昼は湾内、川、その他入江等でカムフラージュしまして米軍機の空襲から身を隠す事が出来ます。機雷は此処で真価を問われる事になりました。結果は、日本が次第に食料不足を期しました事でした。もし日本が1945年8月に降伏しませんでしたなら、数百万人の日本人がその年の冬が過ぎる迄に餓死か凍死していたでしょう。