1942年の、2度目の空母機動部隊同士の戦いとなりましたミッドウェーの戦闘は、太平洋戦争の中でも、天下分け目の戦いでした。しかし、これは日本側がそう考えましたからではありません。アメリカ側が日本のやろうとしています事を事前に察知していませんでしたり、察知していましても不意打ちをかけるだけの海軍力を持っていませんでしたら、ミッドウェーの戦いはアメリカ軍による「ミッドウェー包囲作戦」に変わっていましたでしょう、と言う意味においてであります。
 日本軍はミッドウェー諸島を押さえ、アメリカ艦隊に出てきて戦う様に仕向け様と決めていました。そうなっていたら、アメリカ艦隊は決定的な敗北を被っていたでしょう。日本がミッドウェーに地上基地を持てば、「不沈空母」を持ちました事になり、規模の小さかったアメリカ艦隊は木っ端微塵にされていたでしょう。
 ミッドウェー作戦は大規模で、日本側は空母8隻の他、駆逐艦、巡洋艦、戦艦、潜水艦多数を動員しました。この作戦にはまたアメリカ軍への陽動作戦として、アラスカの無防備のアメリカ諸島に日本の海軍陸戦隊を上陸させ、アメリカ軍の目をそちらに引き付ける事も含まれていました。日本側の計画では、ミッドウェー防衛に急行するアメリカ海軍を沈めながら、一刻も早くミッドウェー島を押さえ、そこから島伝いに千数百キロ離れましたハワイに前進する事でした。しかし、これはあくまで日本流の考えでした。