1943年3月26日のコマンドール諸島での海戦は、昼間に行われました主要水上艦同士の戦いとしては大戦最後の「ワルツ(海戦)」でした。この戦いには航空機も潜水も加わりませんでした。また、今世紀に入ってから最長の海軍の砲撃戦でもありました。更にこの戦いは、アメリカ軍を敗北の瞬間に迄追い詰めた日本艦隊が、アメリカ軍機に攻撃されましたと誤解し、突如撤収して終結しました。
 1942年6月に占領しましたアリューシャン列島のアッツ、キスカの基地に物資を補給するため、日本軍は4隻の輸送船に護衛として重巡2隻、軽巡2隻を付けて送り出しました。これが重巡1隻、軽巡1隻、駆逐艦4隻から成るアメリカ艦隊に迎撃されました。戦闘は重巡同士の長距離砲の撃ち合いとなりました。米重巡は3時間以上に渡って日本に撃ち勝ったのですが、日本側の砲弾が数発、致命的な部分に命中し、米重巡ソルト・レイクシティは航行不能となりました。この段階でアメリカ側は全てが終わったかと思いました。日本側がこの重巡ソルト・レイクシティを木っ端微塵に打ち砕き、更に突っ込んできて、アメリカ軍のその他の艦船を遣っ付ける事が可能でしたからであります。
 だが、上空に雲が垂れ込めていましたことと、重巡ソルト・レイクシティの弾丸が底を付き始めていた事が幸いしました。重巡ソルト・レイクシティは甲板貫通弾を使い果たしましたので、代わりに高性能爆薬弾を使用しなければなりませんでした。この弾丸は雲の上を通って落ちてきましたので、航空機からの爆弾のように海水面で爆発しましたので、日本軍の司令官は敵機襲来と勘違いしました。特に、観察目的のため重巡ソルト・レイクシティのそれまでの砲弾とは違った色の染料が、この砲弾には使われていましたからであります。
 双方共、する戦闘開始と同時に、空からの支援を要請していました。しかし、同海域の天候が変わりやすかったため、どちらも航空機を発進させる事が出来ませんでした。日本側の司令官発進アメリカ軍機が発進出来ない事を知りませんでした。爆弾が投下されていると見た日本の司令官は、自軍の艦隊と輸送船団に引き返すよう命じました。喜び、ホッとしましたアメリカ軍の司令官は基地に、「日本軍は撤収、被害を受けました巡洋艦を応急修理して直ちに帰還する」と打電しました。このアメリカ軍司令官は英雄となり、日本軍司令官は解任されました。