史上最も幸運な船の1つは日本の駆逐艦「時雨」でした。「白露」級のこの船は1935年に完成、数々の武勲を立てました。戦争当初から色々な事が合ったにも関わらず、魅惑的な一生を送りました。何度も危ない橋を渡ったが、戦争の全期間を通じて手ひどい被害を受けました事は一度もありませんでした。
「時雨」の戦歴は太平洋戦争の主要な海戦の記録でもあります。

▶珊瑚海(1942年5月7〜8日)「時雨」は日本空母群の護衛艦として参戦し、かすり傷ひとつ受けませんでした。
▶ガダルカナル(1942年10月14〜15日)アメリカ海兵隊が死守する海岸陣地の艦砲射撃作戦に出撃、またもや無傷で帰還しました。
▶ガダルカナル(1942年11月14〜15日)日本の戦艦と重巡各1隻、軽巡2隻、駆逐艦数隻の艦隊に加わって出動、米戦艦2隻と駆逐艦4隻の艦隊と遭遇しまして猛烈な夜戦となりました。日本艦隊の敗北に終わり、戦艦「霧島」は沈みましたが、「時雨」は損害なしでした。
▶ベラ湾(1943年8月6〜7日)ソロモン諸島にあるベラ湾で味方の駆逐艦3隻と共に、米駆逐艦数隻による襲撃を受けましたが、「時雨」のみが何の損傷もなく生き残りました。
▶ベラ・ラベラ(1943年10月6〜7日)9隻の駆逐艦と多数の軽船艇からなる船団に加わり、ソロモン諸島ベラ・ラベラ島に駐留する日本軍守備隊の撤収作戦に向かいました。6隻の米駆逐艦隊が察知して妨害に出ましたが、「時雨」は無傷で危うく虎口を逃れました。しかし、後で分かった事ですが、米艦が発射しました魚雷が「時雨」の舵の1つを直撃、21インチの穴を開け、不発に終わっていました。