1943年3月、イギリス軍のコマンド(特殊部隊)を満載しました1隻の船が、インド南部にありますポルトガル領ゴアの港に忍び込みました。部隊は港に碇泊中のドイツ貨物船を攻撃し、これを破壊しました。貨物船は強力な無線を使ってインド洋でのイギリス商船の動きを、近くのドイツ潜水艦に知らせていましたのであります。この攻撃作戦をイギリス政府は一度として公式に認めていません。理由は外交的なものでした。
 第2次世界大戦中、中立の立場にあったポルトガルは連合国、枢軸国双方のスパイの活躍の舞台でした。ポルトガル政府職員の多くは順応型で、金で買収して協力を得ることも可能でした。しかし、イギリスがポルトガル領で軍事作戦を展開しましたとなれば、ポルトガルを親枢軸に追いやり、連合国側のスパイ活動に支障が出る恐れがありました。そこで正規軍を補助するイギリスの社会団体(「カルカッタ軽騎兵」)の中年会員がボランティアとして動員されました。彼らは外交的な理由で、この仕事は政府からの公式の承認は得られないと告げられました。もし捕まるようなことがあったら、自分勝手にやったことだと主張することになっていました。
 攻撃は成功しました。しかし、事前の工作によるところ大でした。攻撃に先立ち、ボランティアの1人が港を訪れ、ポルトガル当局者に金を払って、攻撃当夜に盛大なパーティを開き、港に碇泊中のドイツ、イタリア船の乗組員達を招待するよう依頼しました。攻撃前の1週間、町の歓楽街は無料開放の手筈が整えられました。この為、特殊部隊が攻撃しました船の乗組員や水兵はあまり船に残っていなかったのであります。
 この攻撃に参加しましたボランティアや彼らを訓練しました人達は後で、これに付いて色々と自由に喋りました。同作戦に関して映画迄製作されましたが、その事実が公式に認められることはありませんでした。この事は外交というものがどのようなものであるかを物語っています。