ダグラス・マッカーサー将軍はアメリカが生んだ最も有能な軍人の1人と考えられていますが、彼にも彼なりの欠陥があります。それが端的に表れたのは、フィリピン防衛の際マッカーサーが取った態度でした。1941年末、フィリピン防衛に当たっていたのは2万5000人のアメリカ・フィリピン正規軍と、ろくに訓練も受けていないフィリピンの予備役と徴兵された兵隊達でした。日本側はまず、台湾の基地を使ってフィリピンの制空権を握りました。次いで海軍が制海権を握りました。その後陸軍5万人が侵攻、5か月の激戦の後、フィリピンを制圧しました。
 日本軍攻撃の充分な警報が合ったにも関わらず、マッカーサーは味方の空軍の大半を地上で撃破されてしまうという失態を演じました。日本側の空軍基地は800キロも遠方に合ったというのに、マッカーサーは自軍の航空機の分散も命じなかったし、日本軍の空襲に有効な反撃を試みようともしませんでした。マッカーサーのフィリピン赴任は数年に及んでいましたが、実際に日本軍が攻撃してきました時、フィリピン軍の訓練度の低さを計算に入れていませんでした。1941年12月8日の段階で、大多数のフィリピン軍は1か月足らずの訓練しか受けていませんでした。日本軍が上陸してきました時、マッカーサーは兼ねてからの作戦計画に従ってバターン半島に即時撤退するどころか、ルソン平原北部の機動作戦で日本軍を食い止めようと決断、返って大損害を被りました。
 一方、軍隊の移動や物資の補給も、日本軍との地上戦に入る前及び入ってからも、無様でした。生き残ったアメリカ軍及びフィリピン軍が最後にバターン半島に引き籠もった時、食料、弾薬、部品は極度に欠乏していました。入手可能でしたにも関わらず、戦闘に間に合うよう緊急搬入を命じていませんでしたのであります。