一般にはガダルカナルが太平洋戦争初期における形勢転換的な地上戦闘と考えられていますが、実際には南太平洋での主要戦場でありましたニューギニア作戦の延長にしか過ぎませんでした。ニューギニアはオーストラリアの北部に位置する熱帯性の島で、西側半分をオランダ、残りをオーストラリアが領有していました。そこから北東(ビスマルク諸島)と南東(ソロモン諸島)に小さな島嶼群が延びていました。日本軍はこれら3つの島嶼群を、日本の防衛線として死活の重要性を持つ物と考えていました。
 1942年3月初め、日本軍はニューギニア北部海岸に上陸しました。南の海岸にはオーストラリア軍(後に米軍)がいました。最初の戦闘はニューギニアのごつごつしました背骨を形成していますオウエン・スタンレー山脈で起きました。この戦闘はジャングル戦と山岳戦の苛酷な面がごっちゃになったものでした。1942年末迄に戦闘は北部海岸の日本側陣地に絞られてきました。この戦闘は日本側が増援を送ったため、1944年迄続きました。