フランスの指導者達は、結局はこの3番目となり、ドイツ軍はベルギーに侵攻するだろう、と見通しました。そして、そうなればイギリスがフランスに味方しまして参戦し、ドイツと対戦しました場合、フランスに欠ける人的資源を補ってくれるでしょう。従って、マジノ線の存在価値は、ドイツ軍をベルギーに引き込むことにあり、そこでドイツ軍はイギリスの支援を受けたフランスの機動部隊と戦うことになります。この戦略案を取れば、戦争の惨禍はフランスを襲わずに、ベルギーに降りかかると言う利点(決してフランス側は口にしていません)も加わります。
 完成してみると、マジノ線は見た者の目を驚かすに足るものとなりました(今でもそうであります)。国境線の内側数マイル沿いに、要塞の帯が途切れ途切れに延々と続きます。幅は場所によって5マイルから10マイル(16キロ)。ある場所は地面を掘りました砦や角面堡、またはトーチカ、監視塔、対戦車妨害工作物など、色々な工夫が凝らしてあります。
 フランスの北東部(アルザス・ロレーヌ地方)は山岳地帯や深い森林が多く、ところによって沼地があり、元々天然の要害的な要素が強いです。その地の利を最大限に生かして、要塞を作りました。陣地の大半はアリの這い出る隙間も無い程の堅固さで、陣地同士がお互いに支え合い、必要とあれば長期間、一つ一つの陣地が独立して持ちこたえられる構造になっていました。特に防備を固めた場所では、お互いが地下軌道で結ばれ、応援部隊や弾薬の輸送が行われます。