少し意外に思われるかもしれないけれど、
私は長い間、
自分の体をあまり信用していなかった。
身体の仕事をしているのに、だ。
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■ 知識が増えるほど、体は遠ざかった
学べば学ぶほど、
体は「管理する対象」になっていった。
• 正しい姿勢
• 正しい動き
• 正しい筋肉の使い方
それらは確かに役に立ったし、
多くの人を助けてもきた。
でも同時に、
私は無意識にこう思っていた。
体は放っておくと間違う。
だから、導かなければならない。
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■ 自分の体にも、同じ態度を向けていた
それは、
クライアントにだけではなかった。
自分の体に対しても、
• もっとこう動けるはず
• ここが弱い
• ここがズレている
そんなふうに、
常に“修正対象”として見ていた。
体の声を聞く、というより、
体を黙らせて前に進ませる。
今思えば、
かなり一方的な関係だったと思う。
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■ がんばれなくなったとき、体は敵になった
前回書いた
「がんばれなくなった日」。
あのとき、
体は私にとって
頼れる相棒ではなく、
言うことを聞かない厄介者だった。
「なぜ動かない」
「どうして戻らない」
そう責めるほど、
体はますます固まっていった。
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■ 学び直しは、知識ではなく態度だった
体を学び直す、
というと、
新しい理論や技術を
思い浮かべる人が多いかもしれない。
でも私の場合、
変わったのは
知識の量ではなく、体への態度だった。
体に聞く。
体に任せる。
体のペースを尊重する。
それまでやっていた
「コントロール」を、
少しずつ手放していった。
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■ 体は、思っていたよりずっと賢かった
不思議なことに、
そうすると体は、
• 無理をしなくなり
• 必要なときに力を出し
• ちゃんと戻る
ようになっていった。
体は、
怠け者でも、
壊れやすい存在でもなかった。
信用されるのを、
ずっと待っていただけ
だったのだと思う。
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■ 体を信用すると、人生の判断も変わる
体を信用し始めてから、
人生の選択も変わった。
• 無理な予定を入れなくなった
• 迷ったとき、体の反応を見るようになった
• 「できるか」より「戻れるか」を基準にした
体を信用することは、
甘やかすことではなかった。
壊れにくい選択をすること
だった。
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■ 上きげんは「信頼関係」から生まれる
今、私は思っている。
上きげんとは、
体と自分との
信頼関係の状態だと。
言うことを聞かせる関係ではなく、
対話できる関係。
体を信用できるようになったとき、
人生は少し静かに、
でも確実に、
前に進み始めた。
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このブログは、
そんな 体との関係を結び直してきた記録 でもあります。
まだ途中。
完成形はない。
でも、
体を疑う人生には
もう戻らない!
日々更新中ではありますが、
私の考えが凝縮されている
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