天国の情景 | ☆ココロの星屑たち☆

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「天国はほんとうにある」(青志舎刊)という本を読みました。4歳のコルトン君が虫垂炎を病院の診断ミスでこじらせ、死に掛かったのが、奇跡的に癒され、その時に天国に行って来た話です。この手のものは眉唾のものが多いのですが、これは本当だと思いました。今まで決して知らされなかった天国の情景が4歳の子供の表現の範囲で具体的に生々しく描かれています。全米のベストセラーNo.1というのも納得です。読んで見られることをお勧めします。
 考えてみれば私たちは天国を慕っている割には天国について知りません。聖書もごく限られた形でしか天国を示していません。それらしく見える黙示録の新しいエルサレムは地上に降りてくる教会の姿だとあります。


そして、御使いは御霊によって私を大きな高い山に連れて行って、聖なる都エルサレムが神のみもとを出て、天から下って来るのを見せた。都には神の栄光があった。その輝きは高価な宝石に似ており、透き通った碧玉のようであった。都には大きな高い城壁と十二の門があって、それらの門には十二人の御使いがおり、イスラエルの子らの十二部族の名が書いてあった。東に三つの門、北に三つの門、南に三つの門、西に三つの門があった。また、都の城壁には十二の土台石があり、それには、小羊の十二使徒の十二の名が書いてあった。また、私と話していた者は都とその門とその城壁とを測る金の測りざおを持っていた。都は四角で、その長さと幅は同じである。彼がそのさおで都を測ると、一万二千スタディオンあった。長さも幅も高さも同じである。また、彼がその城壁を測ると、人間の尺度で百四十四ペーキュスあった。これが御使いの尺度でもあった。その城壁は碧玉で造られ、都は混じりけのないガラスに似た純金でできていた。都の城壁の土台石はあらゆる宝石で飾られていた。第一の土台石は碧玉、第二はサファイヤ、第三は玉髄、第四は緑玉、第五は赤縞めのう、第六は赤めのう、第七は貴かんらん石、第八は緑柱石、第九は黄玉、第十は緑玉髄、第十一は青玉、第十二は紫水晶であった。また、十二の門は十二の真珠であった。どの門もそれぞれ一つの真珠からできていた。都の大通りは、透き通ったガラスのような純金であった。私は、この都の中に神殿を見なかった。それは、万物の支配者である、神であられる主と、小羊とが都の神殿だからである。都には、これを照らす太陽も月もいらない。というのは、神の栄光が都を照らし、小羊が都のあかりだからである。黙示録21:10~23


 ところがこの4歳児のコルトン君のいう天国はこの記述とかなり符合します。しかし、神様は4歳児にわかる形で天国を見せられたのかもしれませんから、彼の言葉を全部そのまま受け取ることは難しいかもしれません。最近、多くの親しい人々を天に送って、ひとり取り残されると天国のことをもっと知りたいと切に願います。


 フェイスブックという通信手段で長いこと音信不通だったシスコ・ホイーラーさんと連絡ができるようになりました。彼女も交通事故の後遺症を抱えた不自由な身で会うことも出来ませんが、お互いに天国が近いから天国に行ったら黄金の道を、手を取り合って歩こうねと書いてきます。かつてはサタン礼拝の女性司祭“暗黒の母”として絶大な富と権力の地位に居た人ですが、今は貧困と後遺症にさいなまれています、しかし、主イエス様で満たされています。それこそ命がけの信仰です。あのジョンベネちゃんのように、父親からセクハラ*を受けて育ったので、私を神様が合わせてくださった“本当のお父さん”と呼びます。
 さて、ダニエル書には少しだけ天国の情景が表されています。


賢い者は、大空の輝きのように輝き、また多くの人を義に導く者は、星のようになって永遠にいたるでしょう。ダニエル12:3
 私たちは皆こうなるでしょう。そして難しい要求が示されています。
彼は言った、「ダニエルよ、あなたの道を行きなさい。この言葉は終りの時まで秘し、かつ封じておかれます。 多くの者は、自分を清め、自分を白くし、かつ練られるでしょう。しかし、悪い者は悪い事をおこない、ひとりも悟ることはないが、賢い者は悟るでしょう。」同12:9~10


 どこまで出来るかわかりませんが、自分として出来る限りの歩みをしていきましょう。聖歌の歌詞が思い出されます。
親しきものらは今かしこにて、わが行くを待ちてあれど
互いに手をとり喜ぶ前にまず愛する主にまみえん

 そういえばコルトン君によれば、誰でも天国で最初に会うのは主イエスさまだそうです。そうでしょう、そうでしょう。


小石泉牧師

(*多重人格を作るためのマインドコントロール技術の一つ)