そしたら、「がんサロン」の文字が目について、日時を確認してみると、開催日当日である事がわかった。
3ヶ月ごとの開催で、今回で3回目。
今日って事は、これはたぶん行って来いってことだよね…。
という事で、今までがんサロンの案内はさんざんしてきたけれど、自身初のがんサロン参加をしてきました。
病院へは夫が卒業した後、書類だけはなんとか取りにいったけれど、きちんとあいさつもできず、そのままになってしまっていたのが、ずっと心のこりでもあったので、良い機会かと。
これまで、夫の法事に向う度、車で通り過ぎる事はあったけれど、思い出すと悲しくて近づけなかったから。
対象は患者と家族となっていて、遺族が参加して良いものかどうか迷う所があったのだけれど、患者に不安を与えるような発言を控えれば大丈夫だよね…と、問い合わせもなしに当日参加で行ってしまった。
サロンが始まる前、ある男性患者さんに話しかけられて、遺族である事をお話ししたら、同情してくれたのか相手が泣きそうになっていて、こちらもつられて泣きそうになったのをこらえた。
「旦那さんの分も生きて。」と声をかけてもらった。
サロンが始まり、最初に臨床心理士さんのお話があって、その後はスタッフも一緒にテーブルごとにお話をした。
不思議な経験が多いと語っていた年配の男性がいて、「私もなんです~!」って、自己紹介中に口を挟んでしまった
![あせる](https://stat.ameba.jp/blog/ucs/img/char/char2/029.gif)
男性ばかりのテーブルだったので、あまり会話もはずまないかと思っていたのだけれど、以外にみなさんよく話をされる方で、あっと言う間に時間が過ぎていった。
最後に次回の案内があった。
最初に会話をかわした方が、「3ヶ月後はもう自分は生きていない。」と繰り返していた。
スタッフも言葉を失っていた。
私自身も、仕事でがん患者の電話相談を受けていた時に、そう言われて何も返せなかった経験がある。
求職中の身なので、次回のサロンには参加できるかどうかわからないのだけれど、
「そんな事をおっしゃらず、またこのサロンに参加する事を目標にしていきましょう!」
「またお会いしましょうよ。」
と声をかけたら、その方の表情が明るくなった気がした。
再び「旦那さんの分も生きて。」と声をかけてもらってお別れした。
そして、自身ががん患者でもないのに、患者支援をしたいという人は非常に珍しいと興味を持ってくださった方と、「またお話したいですね、またお会いしましょう。」と言ってお別れした。
交わした言葉は少なくても、心で通じあえた気がした。
いつも思い出す度、涙、涙、だったけれど、今回は泣きそうになりながらも、涙を流さずに話せるようになったのは、大きな進歩だったと思う。
終わってから一階へ降りようとしたら、間違って上へ行くエレベーターに乗ってしまった。
ついでにそのまま9階へ行って、こっそりデイルームへも行ってみた。
ここは、最後の家族写真を撮った場所。
あっという間の4年だったな。
帰りに裏の公園にも寄ってみた。
五つ葉のクローバーを見つけた辺りは、もう、他の雑草で覆われていて、クローバーは僅かしか残っていなかった。
私が危ないから登っちゃダメ!って禁止したのに、お父さんはれんちゃんにはきびしくできなくて、れんちゃんがやりたいように登らせていた遊具はそのままあった。
病院のとなりを流れる川の上流に、前に住んでいた街がある。
この川の土手をいつも泣きながら自転車を走らせて帰ってたっけ。
中々思うようにすすまないけれど、こうやって一つ一つ、やり残した事や、遺品の整理も進めて行こう。
そして、仕事は離れても、今後も何らかの形で、患者支援は続けていきたいと思った。