「3ヶ月でフルマラソン(サブ4メニュー)」いよいよ今週で導入期が終わります。ということはもうすぐ走り込み期が来る。ヤバい(涙)未知の世界な走り込み期に今からビビるワタクシけいこ56才(女)の昨日のトレーニングメニューは40分Jog&WS×3

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いつもの練習コースを6.5km走った。

ハマヒルガオはまだ咲かないけど

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ハマエンドウが咲き始めた

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好きだなこの花◎


「『母が肺ガンらしい』と兄貴から連絡があったんだ。でも兄貴の話からでは全く状況がわからない。どんな検査をしてどんな診断でどんな治療をするのか?要領を得ないんだよ!まったく!しっかりしてくれって感じだよ!」と普段温厚な夫にしては珍しい。キツい口調だな夫。「無理もないでしょう?」と私。

夫の家族の中では義母が初めてのがん患者。
私は母方の祖父ががんだった。「お腹を開いてみましたが内臓中にがんが散らばっていて何もできず、そのまま閉じました」と医者は言い、術後の祖父は極端に衰弱し61才であっという間に亡くなった。40年以上前のがん医療の話。結局、祖父の原発がんがどこだったのかはわからずじまいで、末期がんだったから告知もしなかった。最期までがんを隠し続ける家族の苦悩。私は中学生だった。そして家族の中で祖父の次にがんになったのは私。
遺伝子レベルのがんの研究が進み、遺伝性のがんについてもたくさんのことがわかりつつある昨今。2人に1人ががんになると言われる今の時代だけど、祖父と私だけががんになった私の家族と、義母だけががんになった夫の家族。どちらの家族も遺伝性のがんとは関係のない家系なのかな?などとどうでもいいことを考えてみたり、私はがん患者ではあるが「がん患者を支える家族」の経験は無いに等しいな、などと考えたりしつつ「お母さんと話したら?」と私。

「咳が止まらんが?」「こっちはちょっとは(がんのことを)知っとるから」「すぐには死なんわいね」と故郷の言葉で話す夫。

さすがだ夫。
先日の「ステージ4をぶっとばせ」のセミナーの時、保坂先生も仰っていた「今、がんではすぐに死にません。がんは共存する病です」と。
素晴らしいな夫。
私と再婚しわずか2ヶ月足らずで「乳ガン再発患者の夫」となっただけのことはある。私の治療を支えただけのことはある。言葉のチョイスが完璧だ。

なんだけどさぁ、私達、乳ガンの知識はちょびっとだけはあるけどさぁ、肺ガンの知識はないんだぞ…だ夫(汗)勉強しなきゃな…

がん患者にとって「家族の支え」は強い強い力になる。

肺がん患者を支える家族(夫)を支える家族(ややこしい)に私はなる。と決めました。



世界中からがんが消えて無くなりますように

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と祈る。




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