訪 問 日:平成21年5月30日(初) 主な城主:諏訪頼忠(諏訪氏当主) 解説板等:解説板あり(画像参照)
↓諏訪といえば、高島城!ですが、こちらは高『嶋』城です(≧∇≦)/
~高嶋城解説板より 一部修正~
~高嶋城解説板より 一部修正~
高嶋城(茶臼山城)跡 文明15年(1483年)に上社と下社の抗争の際、下社・金刺氏によって攻略された城として記録に登場します。 武田氏は、諏訪を領有した後、上原城に諏訪郡代を置いて統治していましたが、天文18年(1549年)にその拠点を高嶋城に移しました。麓の岡村地区には、諏訪郡代の代官所があったと伝えられています。 天正10年(1582年)に武田氏が滅び、続いて織田氏が去ると、当時上社大祝であった諏訪頼忠が諏訪領を回復し、金子城に移るまで在城しました。 現在では、戦国期に諏訪統治の拠点であった城をうかがわせる遺構は殆ど見られません。
↓正攻法だと、手長神社の北側の階段を登ることになりますが…これはパスした方が賢明ですね~ヽ(_ _ヽ)彡
↓「城跡が後ろに控えている」っていう予備知識があると、手長神社も曲輪に見えてきてしまいます(・∇・ )( ・∇・)
諏訪で「城」といえば、真っ先に思い浮かぶのが高島城ですが、本家本元はコチラの高『嶋』城なんです♪
解説板に記載されているとおり、板垣信方が天文17年(1548年)に上田原で討ち死にした翌年に、諏訪郡代の代官所を上原から高嶋城下の岡村に移しており、以降天正10年(1582年)までの間に長坂虎房、吉田信生、市川昌房、今福昌和が郡代に任命されています。
武田氏が滅び、本能寺の変で織田信長が斃れ、諏訪領も混乱に陥りましたが、上社大祝の地位に就いていた諏訪頼忠が配下の千野氏とともに高嶋城を奪還し、実に40年ぶりに諏訪氏一族による統治が再開されました。
その後、頼忠は、宮川沿いに諏訪地方で初めての平城である金子城を築きますが、僅か数年で武蔵に移封となり、諏訪氏に代わって諏訪を治めることになった日根野高吉は、諏訪湖に突き出た高島の地に目を着け、「諏訪の浮城」と呼ばれる高『島』城が築かれることになったのです。
以上、高『嶋』城から高『島』城へと移っていった経過ですが、こちらの高嶋城、何といっても解説板以外に見るべきモノがありません^^
そんな訳で、解説板が大好きなキャッスルハンターさんのために、今回の地図リンクは大きめにしておりましたよ\(゚ー゚\)
↓オマケ画像!
明確な遺構が確認できない中、唯一の収穫!階段脇の「聖徳神社」にあった瓦製の鯱です 大正時代に諏訪高島城の天守再建の話が持ち上がった時に作られたモノですが、昭和の大恐慌で天守再建計画自体が頓挫し、ココに祀られているとのことです やっぱりココが本家本元の高『嶋』城ですからね♪その割りにこの鯱クン達、ちょっと困ったような顔してるのが気になりますけど…(><)
明確な遺構が確認できない中、唯一の収穫!階段脇の「聖徳神社」にあった瓦製の鯱です 大正時代に諏訪高島城の天守再建の話が持ち上がった時に作られたモノですが、昭和の大恐慌で天守再建計画自体が頓挫し、ココに祀られているとのことです やっぱりココが本家本元の高『嶋』城ですからね♪その割りにこの鯱クン達、ちょっと困ったような顔してるのが気になりますけど…(><)