みなさんこんにちは。
東海道徒歩旅、本編の第16回です。
今回は藤川宿からです。
今回の行程
藤川-赤坂
地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。
2022年12月17日
藤川宿〜赤坂宿(約11km)
歌川広重の「東海道五十三次 藤川宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)
藤川宿東棒鼻(東見附)を出発!(14:05、①)
国道一号線に合流すると、名鉄の車両基地が見えました(14:08、②)。
30分ほど歩くと、宇都野龍碩邸跡を発見。
宇都野龍碩邸は江戸時代のドイツ人医師シーボルトの孫弟子で、日本では珍しく種痘を行った人だそうです。
種痘は、かつて人類を震撼させた感染症である天然痘に対する予防接種で、18世紀にヨーロッパで作られた人類初のワクチンです。
現在ではワクチンの効果を知っていてインフルエンザのワクチンなどを打つ人も多いと思いますが、ワクチンという概念すら普及していない時代に予防接種をしたということはすごいですね(14:39、③)。
そして本宿の一里塚跡(江戸から78里目)を発見(14:43、④)。
本宿は藤川宿と赤坂宿の間にある間の宿で、現在でもこの地域ではそれなりに栄えています。
本宿には法蔵寺というお寺があり、ここで徳川家康が幼少期に手習い(文字の練習)をしたといいます。
画像に写っている松は徳川家康が植えたものといわれています(14:50、⑤)。
それから国道一号線に沿って歩き、足の痛さも蓄積してきたため、15:27に本日の行程は終了しました。
2022年12月24日
10:18に、先日の行程が終了した場所に戻って来ました。
長沢の一里塚跡(江戸から77里目)を発見(10:27、⑥)。
そうして赤坂宿に到着しました!(10:49、⑦)
赤坂宿には現在の名物があります。
それは、歌川広重の東海道五十三次に書かれた風景を確認できることです。
旧旅籠大橋屋は江戸時代の建物が残っているそうで、建物の中は昔ながらの雰囲気が感じられます()10:53、⑧)。
また、歌川広重の東海道五十三次に書かれた建物の間取りが、その建物のあった場所に描かれていて、「絵の中の男性はここに立っていたんだ」という風に簡単に知ることができます。
ただ、今回の旅で写真を撮影するのを忘れました。
赤坂宿にも藤川宿と同様に高札が復元されていました(10:58、⑨)。
今回はここまで。次回、御油宿に向かいます(すぐ着きます)。お楽しみに〜
赤坂宿の御宿場印
音羽郵便局の風景印