みなさんこんにちは。
東海道徒歩旅、本編の第12回です。
今回は宮宿からです。
地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。
今回の行程
宮-鳴海-池鯉鮒
2022年12月17日
宮宿〜鳴海宿(約8km)
歌川広重の「東海道五十三次 宮宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)
7:48に宮宿を出発!
およそ30分で白毫寺に到着しました。白毫寺は曹洞宗のお寺です。
台地に建っており、台地の下には「年魚市潟」と呼ばれる場所がありました。
「年魚市潟」は「あゆちがた」と読み、「愛知県」の語源になったといいます(8:25、①)。
白毫寺を出発してしばらく歩くと笠寺に到着しました(8:46、②)。
笠寺は徳川家康ゆかりのお寺です。
徳川家康は子供の時は竹千代という名前でした。
ここ笠寺で、織田家に囚われていた徳川家康と、今川家に囚われていた織田信広(信長の兄)の人質を交換したそうです(8:46、②)。
笠寺を出発すると、笠寺の一里塚(江戸から88里目)を発見しました。
この一里塚は東側の塚が現存していて、立派な榎が旅人を見守っています(8:57、③)。
一里塚からおよそ30分、鳴海宿に到着しました!(9:30、④)
鳴海宿は、後で紹介する有松とともに「絞り」の名産地です。
絞りは布を染める技法の一つで、日本では昔から受け継がれてきました。
現在、鳴海宿よりも有松の方が絞りの布を売るお店が多い気がします。
鳴海宿〜池鯉鮒宿(約13km)
歌川広重の「東海道五十三次 鳴海宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)
鳴海宿を出発!(9:39、⑤)
名鉄の踏切を渡ると、有松の一里塚跡(江戸から87里目)を発見。
この一里塚跡は道路の両側にありますが、復元されたものであり、江戸時代から残っているものではないそうです(10:12、⑥)。
一里塚跡からすぐ、道の両側に伝統的な建物が並ぶようになりました。
ここは有松で、鳴海と池鯉鮒の間の間の宿です。
ここにある有松・鳴海絞会館で有松絞を購入しました(10:14、⑦)。
有松を出発しておよそ30分、桶狭間古戦場に到着しました。
ここは織田信長軍が今川義元を奇襲して今川義元が死亡した桶狭間の戦いが起きた場所です。
今川義元が死亡した場所はお墓になっています(10:46、⑧)。
それからおよそ30分、阿野の一里塚(江戸から86里目)を発見(11:17、⑨)。
境川を渡って旧尾張国から旧三河国に入り(11:34)、道端に面白いものを発見。
かつて「いも川うどん」がこの場所の名物で、一説によるときしめんの由来となっているのだそう(11:56、⑩)。
一ツ木の一里塚跡(江戸から85里目)を通過し(12:12、⑪)、池鯉鮒宿に到着しました!
次回は池鯉鮒宿の観光からです。お楽しみに〜
鳴海宿の御宿場印
愛知緑郵便局の風景印
知立宿の御宿場印
知立郵便局の風景印