みなさんこんにちは。

 

東海道徒歩旅、本編の第10回です。

 

今回は四日市宿からです。

 


地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。


 

 

今回の行程

  四日市-桑名

 

2023年5月1日

四日市宿〜桑名宿(約16km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 四日市宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)


 


四日市には「なが餅」という名物があります(12:19、①)。




なが餅は西暦1550年ごろから人々に親しまれていたようです。

なが餅は小豆餡を餅でくるんで細長く伸ばして焼いたお菓子で、大福とはまた違った食感があって美味しいです。


 

川を渡ると三ツ谷の一里塚跡(江戸から99里目)を発見しました(12:31、②)。


 

その後40分ほど歩くと小学校の門の近くに明治天皇御輦(ちゅうれん)跡がありました。

ここで明治天皇が休憩なさって、名物である富田の蛤を召し上がったそうです(13:10、③)。



 

それから少し進み、近鉄と三岐鉄道の高架付近に富田の一里塚跡(江戸から98里目)を発見しました(13:18、④)。


 

その後三岐鉄道の高架とJRの踏切を通り(13:26、⑤)、桜並木を通りました(13:44、⑥)。


  

 

この地域も旧東海道であることを示す看板がありました(13:51、⑦)。


 

縄生の一里塚跡(江戸から97里目)を通り(14:12、⑧)、四日市市から桑名市に入りました(14:20、⑨)。


  

桑名市では城南神社を参拝。

 

伊勢の神宮は20年に一度社殿などを新しく建て替える式年遷宮が行われますが、

 

城南神社は伊勢の神宮と縁があり、式年遷宮で撤去された伊勢の神宮の一の鳥居がこの城南神社に下賜されるそうです(14:29、⑩)。


 

そしてついに桑名宿に到着しました!(15:21、⑪)


 

桑名宿は蛤が有名で、蛤のお店がいくつもあります。

その中で今回は、明治時代の文豪である泉鏡花の著作に登場する「歌行燈」で遅い昼食をいただくことにしました。

 

蛤うどん御膳(2189円)をいただきましたが、蛤の身も出汁も非常に美味しかったです(15:40、⑫)。


  

 

昼食後、さらに進むと東海道が途切れます(15:59、⑬)。



ここから先は旧東海道唯一の海路である七里の渡しです。

 

木曽三川(揖斐川、長良川、木曽川)は流量が多く川幅が広く、江戸時代は船で渡っていました。船が苦手な人は愛知県の佐屋まで船で行き(三里の渡し)、佐屋から宮まで歩いていたそうです。

 

江戸時代の人はこれから先乗り物に乗っていたので、私は鉄道に乗って宮まで行こうかと思いましたが、せっかくなので宮までも歩くことにしました。

 

それでは次回、いよいよ名古屋市に入ります。お楽しみに〜

 

桑名宿の御宿場印



桑名郵便局の風景印


 

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