みなさんこんにちは。
東海道徒歩旅、本編の第9回です。
今回は石薬師宿からです。
地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。
今回の行程
石薬師-四日市
2023年5月1日
石薬師宿〜四日市宿(約11 km)
歌川広重の「東海道五十三次 石薬師宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)
石薬師宿を出発!(9:34、①)
国道一号線に合流し、采女の一里塚跡(江戸から101里目)を発見(10:08、②)。
しばらく歩くと、杖衝坂(つえつきざか)に到着(10:18、③)。
前々回の記事で日本武尊について少しお話ししましたが、この杖衝坂が日本武尊ゆかりの地だそうです。
日本武尊は伊吹山(滋賀県/岐阜県境の山)の神様を討伐しにいき、大怪我を負ってしまいました。
そして、坂道を歩くのもしんどくなってしまいます。
その時日本武尊は、
私の足は三重に折れ曲がったようになって、とても疲れた
と言ったそうです。
その発言から、現在の「三重県」の名前が付けられていると言われています。
また、この時日本武尊が歩いていた坂がこの杖衝坂であると言われています。
日本武尊が足の出血を止めたと言われる場所を発見(10:16、④)。
そして杖衝坂には松尾芭蕉の句の碑もありました(10:18、③)。
坂を下ってから30分ほど歩くと、日永の追分に到着しました(10:51、⑤)。
日永の追分は、東海道と伊勢街道の追分です。
江戸時代の庶民の旅行といえば伊勢参りだったそうなので、江戸方面からの旅人は、ここ日永の追分から、石薬師宿方面ではなく伊勢へと向かったことでしょう。
関宿にあった、伊勢別街道との追分と同じように、こちらの追分にも鳥居がありました。
日永の追分から1kmほど進むと日永の一里塚(江戸から100里目)を発見(11:07、⑥)
四日市の街に近づいてきましたが、天白川の橋からコンビナートが並んでいるのが見えました。(11:14、⑦)。
四日市は石油化学工業が有名で、大きな石油化学コンビナートがあります。
1960年ごろから、コンビナートなどからの煙によってぜんそく症状を訴える人が多発しました。
これは現在では四日市ぜんそくと呼ばれ、水俣病、第二水俣病、イタイイタイ病とともに日本四大公害病に数えられています。
現在は煙の対策がされ、画像のように青空が広がっています。
四日市の中心部に近い住宅地には、旧東海道を示す旗がいくつもありました(11:36、⑧)
その後まもなく、四日市宿に到着!(11:50、⑨)
四日市市は三重県で一番人口が多い市町村で、特に旧東海道、現在の近鉄四日市駅の付近が栄えています。
旧東海道の一部は現在アーケードの商店街になっています(11:57、⑩)。
宿場の中には東海道四日市宿資料館がありました(12:16、⑪)。
今回の記事はここまで。
次回、四日市から桑名に向けて出発します。
お楽しみに〜
四日市宿の御宿場印
四日市郵便局の風景印