みなさんこんにちは。

 

東海道徒歩旅、本編の第8回です。

 

今回は庄野宿からです。

 

地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。



 

 

今回の行程

  庄野-石薬師

 

2023年4月13日

庄野宿〜石薬師宿(約4km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 庄野宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)




庄野宿に入って、本陣跡を見つけました(14:23、①)。



それからしばらくすると、庄野宿資料館がありました(14:26、②)。



庄野宿資料館は、昔ながらの家を改修して、東海道の歴史や、この地域の歴史にまつわるさまざまなものを展示している資料館です。


係員の方が丁寧に説明をしてくださいました。

 


驚くことに、

江戸時代実際に使用されていた高札の本物が残っており

本物の高札展示されていました。


 

文字の部分の墨はあまり残っていませんでしたが、木の凹凸は残っており、文字を認識することはできました(写真撮影は不可でした)。


 

2023年4月13日の東海道徒歩の旅はもう少し先にある加佐登駅で終了(14:51、③)。


 


2023年5月1日

朝早くから列車を乗り継ぐことおよそ3時間、加佐登駅にやってきました(8:36、③)。



庄野宿と石薬師宿の間の道は、どこで曲がればいいのか少しわかりにくいところがありますが、いくつもの看板が教えてくれました(8:48、④)。


 

その後、特徴的なものを発見(8:53、⑤)。



一見、どこにでもある「不法投棄禁止」の看板ですが、よく見るとその下に外国語が書かれています。これはポルトガル語です。


 

ポルトガル語はポルトガルやブラジルで使われている言語なのですが、なぜ英語ではなくポルトガル語が併記されているのでしょう。


 

それは、この地域にブラジル出身の方が多いからです。


日本には外国から来た方がたくさん住まれていますが、中でも中国や韓国から来た人が多いです。

 


しかし三重、愛知、静岡などのものづくりが盛んな地域ではブラジル出身の方の割合が高くなっています。


 

実際、三重県に住んでいる外国人の中で最も多いのはブラジル人です(2022年12月31日時点)。


 

そうこうするうちに石薬師宿に到着!(8:59、⑥)

 


ここは石薬師宿の西見附でもあり、石薬師の一里塚跡(東京から102里目)でもあります。


 

石薬師宿は、明治時代の歌人である佐佐木信綱の出身地で、街道沿いには佐佐木信綱の短歌が描かれた看板が並んでいます(9:01、⑦)。



また、石薬師宿には佐佐木信綱記念館もありました(9:26、⑧)。



石薬師宿の名前には「薬師」という仏様の名前が入っていますが、石薬師宿の名前の由来は、宿場にある石薬師寺というお寺です。


石薬師寺に参拝しました(9:04、⑨)。


 

石薬師寺の中には緑のトンネルのようになっている場所があり、ちょうど新緑の季節でもあったので、非常に美しい風景でした。


iPhoneの普通のカメラでも美しさがわかるくらいです(9:05、⑩)。


 

 

石薬師寺を参拝後、石薬師宿の本陣跡を発見(9:27、⑪)。



この本陣は当時の文書がいくつか残っており、その文書によると、忠臣蔵の赤穂浪士が主君として支えていたことでも有名な浅野内匠頭長矩も宿泊したそうです。


 

今回の記事では、進んだ距離は短いですが、庄野宿と石薬師宿について色々と紹介しました。


関西からなら車で日帰りできる距離ですので興味を持ったものがあればぜひ訪れてみてください。

 

それでは次回、石薬師宿を出発して四日市へ向かいます。お楽しみに〜

 

 

石薬師宿の御宿場印



石薬師郵便局の風景印


 

 

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