みなさんこんにちは。

 

東海道徒歩旅、本編の第7回です。

 

今回は土山宿からです。

 

地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。

 

 

 

今回の行程

  関-亀山-庄野

 

2023年4月13日

関宿〜亀山宿(約6km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 関宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)

 

 

 

関宿の東見附の近くには伊勢別街道の追分があります。

 

京都から伊勢の神宮に参拝する人はこの道を通って参拝していました。

 

 

そのため追分には大きな鳥居があります(11:45、①)。 

 

 

関宿を出ておよそ30分、瓦屋根の郵便局を見つけました(12:14、②)。

 

 

その後、野村の一里塚(東京から105里目)に到着しました。

 

この一里塚は、これまで見てきた一里塚跡とは違い、道路の北側の一里塚が現存しています

 

江戸時代はこのような塚が一里ごとに、道路の両側にありました(12:23、③)。

 

 

そしてそれから約10分後、亀山宿に到着!(12:32、④)

 

 

今回の記事を見ると関宿から亀山宿まで50分ほどで6kmを歩いたように見えますが、記事の最初に書いた関宿〜亀山宿(6km)というのは、関宿の中心部から亀山宿の中心部までが6kmという意味です。

 

関宿の東見附と亀山宿の西見附はせいぜい4km程度しか離れていません。

 

私は今回の旅で亀山宿をほぼスルーしてしまったので亀山宿の特徴などを紹介することができません。申し訳ございません…。

 

亀山宿〜庄野宿(約9km)

 

歌川広重の「東海道五十三次 亀山宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)

 

 

 

亀山宿を出発(13:00、⑤)

 

 

 

亀山といえば、カメヤマローソクというろうそくが有名かと思います。スーパーなどで売っているのをみたことがある人もいるかもしれませんね。

 

そのカメヤマローソクを作っている、カメヤマ株式会社の工場が亀山市にあります。ちょうど東海道沿いにありました(13:11、⑥)。

 

 

 

ロウソク工場からしばらく歩くと、和田の一里塚跡(東京から104里目)がありました(13:17、⑦)。

 

先程の野村の一里塚と同じように立派な一里塚ですが、こちらは復元されたものだそうです。

 

 

その後も歩き進めるとJR関西本線の井田川駅に到着(13:40、⑧)。

 

井田川駅には日本武尊像があります。

日本武尊(ヤマトタケルノミコト)は古代日本の英雄で、西国や東国の、天皇に従わない人達をやっつけた伝説があります。

 

日本武尊についてはまた後ほど、石薬師宿〜四日市宿の回でお話しします。

 

 

 

その後20分ほど歩くと中富田の一里塚跡(東京から103里目)がありました(14:05、⑨)。

 

 

一里塚跡の近くに、女人堤防の碑がありました(14:11、⑩)。

 

この地は、鈴鹿川と安楽川が合流する地点で何度も川が氾濫して被害を被っていたそうです。

 

そのため工事をさせてくれと藩に何度もお願いをしたのですが許されませんでした。

 

しかし、村人たちはもう我慢できないと、工事を無断で行うことにしました。

 

もちろん工事を無断で行うと罪に問われます。

 

最悪死刑になるかもしれません。

 

村人たちは、農業の働き手である男性が死刑になると、生活に困ることになるでしょう。

 

そこで村の女性たちが工事を行いました。

 

もちろん藩に無断の工事がバレてしまい、女性たちは死刑を言い渡されます。

 

しかし、家老(藩の重臣)が死刑をやめてくれと説得したことで死刑はなくなり、逆に女性たちに褒美を与えることとなりました。

 

 

 

女人堤防の碑から少し歩くと、庄野宿に到着しました!(14:19、⑪)

 

 

 

亀山宿の御宿場印

 

 

亀山郵便局の風景印

 

 

庄野宿の御宿場印

 

 

鈴鹿庄野郵便局の風景印

 

 

今回の記事はここまで。

 

次回は庄野宿から石薬師宿へと向かいます。

 

お楽しみに〜

 

 

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