みなさんこんにちは。
東海道徒歩旅、本編の第5回です。
今回は土山宿からです。
地図で紹介する写真の撮影場所は、URLの地図をご参照ください。
今回の行程
土山-坂下
2023年4月13日
土山宿〜坂下宿(約10km)
歌川広重の「東海道五十三次 土山宿」と、模型(土山宿の東海道伝馬館で撮影)
道の駅あいの土山の向かい側には田村神社があります(8:21、①)。
田村神社は、平安時代に征夷大将軍に任じられ、蝦夷地征伐に向かったことでも有名な坂上田村麻呂を祀る神社です。
なんでも坂上田村麻呂が鈴鹿峠の鬼を倒したことが関係あるらしい。
東海道は一部田村神社の中を通ります。
せっかくなので参拝したかったのですが、朝早すぎたため参拝せずスルー。
後日参拝しました(撮影は後日、②)
田村神社の中にある高札場跡や、歌川広重「東海道五十三次」にも描かれた海道橋を過ぎるといよいよ土山宿を出発したと言ってもいいでしょう(8:25、③)。
30分ほど歩くと山中の一里塚跡(江戸から109里目)を発見しました(8:51、④)。
そしてしばらく進むと馬子唄の碑がありました(8:58、⑤)。
馬子唄は人や荷物を載せた馬を引っ張っていく仕事をする人たちが口ずさんだ唄です。
鈴鹿峠の馬子唄の中でも有名なものが
「坂は照る照る 鈴鹿は曇る あいの土山 雨が降る」
というものです。
これは、鈴鹿峠の東側の坂下では晴れていたのに、峠を越えて土山に来ると雨が降っているという意味で、
峠の東西で天気が大きく変わっている
ことを意味するようです。
東海道の上り坂が少しだけ急になっていきます。
そして途中に大きな常夜燈がありました。
これは江戸時代に、甲賀の人々が作ったと言います(9:26、⑥)。
そして緩やかな坂道を歩いていると、看板が並んでいるのを発見(9:29、⑦)。
よくみてみると、ここが鈴鹿峠であり、滋賀県と三重県の県境でもあると書いてありました。
なんともあっさりと鈴鹿峠を登りきってしまいました。
というのも実はこれには理由があって、鈴鹿峠は三重県側は急な坂道となっている一方、滋賀県側は琵琶湖の辺りまでなだらかな坂となっているのです。
このように他方だけ急な峠を「片峠」といいます。
片峠として、鈴鹿峠以外には、群馬県の横川と長野県の軽井沢の間の碓氷峠も有名です。
江戸から京都に来る旅人は鈴鹿峠で苦労する一方、京都から江戸に向かう旅人は鈴鹿峠でそれほど苦労しない
というわけです。
写真は鈴鹿峠を三重県側から撮影した写真です(9:30、⑧)。
鈴鹿峠を超えるとひたすら坂道を下っていきます。軽快に坂道を降りること20分、坂下宿に到着しました!(9:51、⑨)。
この画像をよくみると画像の右と左に本陣跡の石碑があります。
さて、鈴鹿峠を越えて三重県に突入しました。三重県の旅行記もお楽しみに〜
坂下宿の御宿場印
坂下簡易郵便局の風景印